帰宅ラッシュにさしかかり駅構内が混み合い始める時間帯。
行き交う人々の向こう、ベンチにひとり腰掛ける老女の姿が目に入った。
傍らにする荷物がベンチ一人分を占めるほど巨大。
わたしは自然と祖母の話を思い出した。
大きな荷を背負い足腰立たなくなるまで行商を続けた祖母であった。
行き先は南大阪方面。
だから、阿倍野が発着地点だった。
あるとき、祖母がベンチに座って電車を待っていると中年のおじさんが話しかけてきた。
その男性は祖母の荷物を見て、ねぎらうような優しい言葉をかけてくれたのだという。
祖母にとって、忘れられないほど嬉しい出来事となった。
だからその話をするとき、祖母はいつも笑顔だった。
高校生のときに亡くなった息子が、おじさんの姿を借りて現れ、声をかけてくれた。
祖母はそう信じていたのだった。
祖母にとって最初の息子は特に出来がよく心根もよく優しく思いやりがあって、かけがえのない存在だった。
その息子が高校生のときに亡くなるなど、祖母にとって受け入れられるはずのことではなかった。
息子が亡くなって何年経とうが何十年過ぎようが、駅のベンチであろうがどこであろうが祖母は片時も忘れず息子のことを想い続けていたのだろう。
祖母がどのような景色のなかを生きてきたのか、いまになって分かるような気がして、夕刻の路上、まぶたが熱くなった。
50年もの長きに渡って離れ離れとなることを余儀なくされたが、いまは向こう側にて心安らか息子とともに過ごしているに違いない。
駅のベンチで交わした会話についても、当然、話題になっていることだろう。