カネちゃんと電話で話し終えた時刻がちょうど午後8時。
二男はすでに帰り支度を整えていた。
事務所を後にし駐車場まで並んで歩いて夜道を走るクルマの中でも両隣。
いちばん感動した映画について話し合い、それが入口となってこの日も会話は根源へと向かった。
何のために生きているのか。
それが帰り道のお題となった。
西へと向かう車列の流れに乗ってクルマを走らせ、わたしはぽつりぽつりと言葉を継いだ。
生きているから生きる。
それ以上のことは、考えても分からない。
幸い自由の身。
何のために生きるのか。
答えは自分で好きにこしらえればいいのではないか。
二男が賛意を示したので、いくつか注意事項を付け加えた。
ただ、自分の内側をいくら覗き込んでも、答えをこしらえるための材料は見出せない。
メイドイン自分といった目的や理由など実は存在せず、それらはすべて「向こう」からやってくる。
人間と書くとおり、疎密の差はあれ誰もが関係の編み目の中に在る。
編み目自体が活きて動いてそこに生じる相互作用の方こそが本質で、個は編み目の端くれとして従属しているだけ。
そう見る方が正しく、つまり、生きているというより生かされている。
編み目のなか生じる作用反作用の過程において、自身の内にチラと映し出されて強く残る何かが材料となっていく。
それを好きに自由に解釈し自分の目的や理由として編み上げればいいのであるが、事の順序から言ってこれはやはり自給や自作というのとは異なり、「思し召し」といった形で捉えた方がしっくりくるのかもしれない。
まあ、まずはあれこれ場数を踏むことが第一歩となるだろう。
そこまで話して、話の最初と最後をくっつけて、場数を踏むために生きているといった話にまとめ、それを今夜の結論にすることにした。
それより何より今夜は焼肉。
前日からそう決めてあったから待望の焼肉と言えた。
わたしたちの心はひとつ。
帰宅しすぐ持ち場に分かれ手分けしてベランダ焼肉の設営を行った。
二男が炭火を起こし、肉とサイドディッシュを家内が用意し、わたしは食器を並べ調味料を各種揃えそして赤ワインを開けた。
まずは牛タン。
これが焼肉の鉄則。
続いて牛バラ。
これぞ焼肉のなかの焼肉。
しめはホルモン。
これで焼肉の場が最高潮に達した。
いずれもどっさり焼いてたっぷり食べて大満足。
肉もいいが何よりも火を眺めて過ごす時間が無上。
同じ網の肉を食えば同じ釜の飯を食う仲より結束が強くなる。
この夜、網目から噴き出す炎に熱せられ、いまを生きる家族の一体感はいや増しとなった。