昼、ラーメン屋に入った。
カウンターの薬味を見るとニンニクチップが置いてあった。
この後、会うのは家内だけ。
どっさりとラーメンに投入した。
この日、家内に仕事の手伝いを頼んでいた。
午後、役所で合流した。
待合で話していると、家内が顔をしかめニンニクの臭いがするといってあたりを見回した。
誰か昼に餃子でも食べたのかもしれないね。
家内にそう言いつつ、マスクなど無用の長物とわたしは心の中で思った。
一度別れて夕刻、天満駅で再合流した。
家内が夕飯の店を予約してくれていた。
店の名は「熊の焼鳥」。
ちょうど福効医院の裏手にある。
わたしたちは天六方面に向いて歩いた。
先日まで緊急事態宣言が出ていたなどウソのよう。
天六界隈は平素の賑わいを取り戻しつつあった。
「熊の焼鳥」は会員制。
が、このご時世であるから非会員でも予約がとれた。
カウンター席に座って、料理の説明を受けた。
メニューも分量もサービスも会員と非会員で別に設定されていて、すべてがその分別に基づいて語られた。
それでわたしは昔のことを思い出した。
長男が浜学園に通っていた頃のこと。
夜、迎えに行くと親は台帳に記名させられた。
台帳は2冊に分かれ、記名のため列に並ぶが上に「灘コース」と「灘コース以外」と貼り紙がしてあったから並び間違えることはなかった。
これも会員・非会員の別と同種の話と言えるだろう。
そもそも塾という存在がその種別を分ける狭間にあって、毎年毎年、会員と非会員を選別し続けている。
たとえば馬渕教室はこう謳う。
「男子塾生の3人に1人が最難関7中学」。
知らず知らず、会員・非会員の別でわたしたちは物事を認識している。
中学受験をするなら、灘がプレミアの正会員で、その他いわゆる最難関でやっと会員、そうでなければ非会員。
そんな選別で焚き付けられて、親も子も必死になって受験に挑むことになる。
が、椅子は限られているから、塾に投入した月謝が会費の足しにならないということが生じ得る。
費やした塾代、あれは何だったのだろう。
悔やまれるが、捲土重来。
先々、会員になれれば済むことであると思い直して、また挑む。
それで仕切り直し。
中学生活が始まるが、ここでまた属する世界が会員・非会員へと分岐する。
親から受け継いだ遺伝子は年を追うごと親に近接していく。
だから、中学入試での分別が再度更新され、大学受験ではまた異なる会員構成となっていく。
その昔、関西なら関関同立で御の字であった。
が、いつの間にか同志社だけが飛び抜けた。
だから目先の利く親は早い段階から子を同志社に入れようとし、その差はいま開く一方のように見える。
ここから上は会員。
そのように人は自らの立ち位置を基準にして物事を考える。
そのうち関関同立という括りは消えていくのかもしれない。
会員・非会員の別は、ある種確定した社会的了解事項であると同時、そこに思い込みが混ざり合って形成される。
たとえば、仲良しママグループ。
持ち物や乗っているクルマや夫の職業などで線を引き、会員・非会員を厳しく分け隔てる。
そうかと思えばその一方、門戸を開いて会員を集めネットワークビジネスさながら一儲け企てるような人も現れ出る。
会員・非会員の別は閉鎖を生み、だから時に搾取を生み出す装置にもなりかねない。
自分が会員だと思いたい。
訳もなく人はそう願うのであると、わたしは知った。
非会員として食べる焼鳥は、なんだかとても切ない味がした。