土曜日の仕事を終え時計を見ると午後3時。
国語が終わってまもなく英語が始まる。
わたしはジムに向かった。
いま英語の試験中。
そんなことを考えながら胸、腹、足、背中などに負荷をかけた。
試験を終え上本町駅に息子が姿を現すのは午後7時頃だろう。
だいたいの目算をつけ、わたしは事務所を後にした。
この日、関西は中学受験の統一入試日を迎えた。
駅構内には大勢の親子連れが行き交っていた。
わたしのように地上改札前に立って、子の帰りをじっと待つ親も幾組かいた。
まるで港。
子を乗せた船がはるばる海を渡って故郷に戻ってくる。
その着岸をいまかいまかと待つようなもの、そう思えた。
わたしのリュックには息子の枕が入っていた。
幼子ならぬいぐるみだろうが長じれば馴染んだ枕。
そんな外泊の必需品について一日目は考えが及ばなかった。
列車が到着し乗客が掃き出される度に目を凝らす。
何本かの空振りの後、午後7時15分、改札に向かって歩く息子の姿が視認できた。
遡ること六年前。
大阪星光の正門で、試験を終えて出てきた息子を迎えたときの記憶が蘇った。
当時と体躯が全く異なる。
改札へと歩み寄りながら、その成長にしばし感じ入った。
顔を合わせても試験についてはなにも聞かない。
そう決めていた。
やあと手を上げ、何も言わず横に並んだ。
歩きながら腹減ったかと声をかけたとき、視線の先には家内の姿があった。
スターを出待ちするファンクラブの仲間みたいなもの。
家内もじっと駅のコンコースで息子の帰りを待っていたのだった。
はり重でいいと息子が言ったので、わたしは前夜同様、近鉄百貨店の地下食に向かった。
選んだのは焼肉弁当とすき焼き弁当。
翌日は出発の時間まで少し余裕があった。
ホテルのブッフェで食べることができるから、朝食の購入は不要だった。
17階の部屋まで届け、弁当二つではやはり足りないとのことだったのでルームサービスでハンバーグステーキを頼んだ。
前夜は夜食に鍋焼きうどんを食べたという。
緊張とは無縁でぐっすり眠って、食の太さも平素の通り。
親として安心なことこの上なく、馴染みの枕まで持参したからもう何も心配はいらなかった。
親が二人もいればノイズが生じる。
だから、長居は無用。
じゃあなと言ってわたしは部屋を後にした。
時刻は午後8時前。
近鉄の地下食へと急いだ。
前夜と同じ轍を踏む訳にはいかなかった。
こましな食材をすばやく選んで、帰途についた。
共通テストを受けた帰りなのだろう。
解答速報を見ながら、車中で自己採点する青年の姿があった。
賽は投げられた。
その様子をみてはじめてわたしはそう強く実感した。
たちまちその場で気持ちが張り詰め、この日見かけた子連れの父すべてに共感のようなものを覚えた。