肉を焼く。
そう家内から連絡が入ったので、帰途、ビッグビーンズに寄った。
いい肉があったので、適当にカゴに放り込んだ。
で、省みた。
ついこの間までのわたしであれば、この肉を写真に撮って日記に残した。
そうすれば先々振り返って懐かしさに浸れる。
そんな動機に促されての習慣であるが、人通りある往来に写真を貼るようなものであるから、捉えようによっては嫌味な話かもしれない。
写真一枚程度ならご愛嬌であっても、朝から晩まで美味しいものを食べて飲み、子らは元気で女房は世話好きで料理上手。
こんな話ばかりが続くとしたら、人生いろいろであるから、一体何なのだと反感覚える向きもあるに違いない。
ようやくにして張本人であるわたし自身がそのお調子者ぶりに気づき始めた。
少なくとも、大の男のすることではないだろう。
もういい歳なのだから他にもっと取り組むべきマシな何かがあるはずで、子らに語るといってこんな話ばかりを書き連ねていれば、最後に後悔とともに我が身を恥じ入ることになってもおかしくない。
喜んでばかりで済まないのが人生。
ああ嬉し、と無思考のまま歌って踊って、益になるものは何も残せない。
重く苦しく、つらく悲しく切なくて、しかし希望は捨てず、だからぐっとこらえて踏みこたえる。
そんな意気地の足しになるような何かを日常から汲み取って、どうせならそれを言葉にしなければならす、そうであってはじめて、子らに語るべき話になり得る。
やはりここで一区切り。
が、急には止まれないのでしばらく総括をしつつ、締めに入っていこうと思う。