装いに本性が顕われ出る。
控え目な場合は分かり難いがやたら出力が強い場合はあからさまとなる。
夕飯時、家内が様々な画像を見せてくれた。
娘を虐待し先頃逮捕された女性はかなりのセレブ志向の人だったようである。
とにかくよく見せたい。
思い通りに見せたい。
暮らしは豊か、生まれ育ちもいいように見せたい。
愛情に恵まれ、甲斐甲斐しく家族に尽くし、仕事において有能で教養もあって頭もいいように見せたい。
そんな強烈な欲がとめどもない。
だから見せれば見せるほど、実はがらっぱちとの本性が透けて見えることになる。
事件が明るみになる前、そのインスタ画像を日常的に目にしていたうちの家内は彼女はセレブなのだと真に受けていた。
素直に受け取るわたしの女房は幸せ者である。
現実は重く厳しく、誰であれ等分に課題を付され諸事情を抱えている。
だから、幸せアピールも過ぎれば、現実の反作用に違いない。
現実の現場で日夜奮闘している人からすればそう容易に推察できる話だろう。
外に向かっては盛って盛って盛りだくさんな嘘八百を撒き散らし、内に向かっては罵詈雑言を浴びせ倒す。
夢想と現実のギャップに引き裂かれた女子の怨嗟には手の施しようがない。
見せれば見せるほどその正反対。
そんな形で自らの不遇を世間に晒す。
身近にもいて、類似の例が後を絶たない。