容赦なく雨が降り続き、せっかくの休日だがどこかに出かけようという気にならない。
かといってずっと家に閉じこもっていても気が塞ぐ。
結局、食材の買い出しだけはしようとなった。
伊丹に道の駅があって、品揃えが結構いい。
お盆だからいつにも増して混み合うなか、肉、野菜、米、魚、果物、乳製品そして花を家内が選んでいった。
吟味するというプロセスを経るから時間がかかるが、わたしも最近それを楽しいと思えるようになってきた。
帰宅し家内が昼の支度をし、昼食後は撮り置きのドラマを一緒に見た。
もちろんその間も料理の下ごしらえをする家内の手は止まらない。
特にゴマの葉で作る漬物には手間がかかる。
ニラを細かく切って、ニンニクを砕き、それらを葉の一枚一枚にまぶしてそれから漬け込む。
食べてしまえば一瞬だが、そのようにしてこそ旨味が宿るのだった。
雨が眠気を誘って、ひとときわたしは寝入った。
目を覚ますと、今度はキッチンで家内が何やら下ごしらえをしていた。
うちの女房は働き者。
このことを息子らに伝えねばならない、そう思った。
誰もがこんな風なのではなく、世にはこの世の果てまでだらしないという人も少なくない。
だから、きちんとその差を認識しないと取り違えが生じかねず、そして後悔は先に立たない。
先日、長男が電話で言った。
外資系企業のインターンで知り合った東大女子らのチームに誘われて食事した。
顔立ちよく洗練されてもちろんすこぶる頭がいい。
教えられることばかりで、圧倒的な力量の差にひれ伏す他なかった。
世はピンキリ。
あまりにピカピカな女子らと交流を持って、長男は実地でそう学んのだった。
ピンキリを体感したことは彼にとって良い経験であったと言えるだろう。
ありふれた日常のなか見慣れてしまった自分の母親だって、ある種のモノサシで測れば、ひれ伏すような「ピン」に属する。
今ならそんな視点を違和感なく取り入れることができるはずである。
だから、将来めとる女房について自らが求められる範囲で「ピン」を選択し得て、一歩間違えれば「キリ」を引き当ててしまうといったこともイメージできるに違いない。
幸いなこと参照事例には事欠かない。
外せば悲惨。
雨に打たれ続ける小動物のように、ハズレた当事者は黙して塞いで憂いに沈む。
もはや逃げる力も召し上げられて、脅えているのか寒いのか、小刻み身を震わせるだけとなる。
進学と就職を切り抜けて、結婚で地雷を踏む。
そんな末路を辿らぬよう、ピンキリがあるとまずは知るところからはじめよう。