新大阪駅で電車を降りた。
階段を上がって在来線のコンコースに出ると正面に「かむくら」があった。
渡りに船とはまさにこのこと。
そう思いつつ、吸い寄せられるままそこで昼食をとることにした。
チャーシュー麺を食べていると家内からメッセージが入った。
お昼のメニューは何?と問われ、わたしは蕎麦と即答した。
同じ麺類であり人類みな兄弟、ラーメンも蕎麦も大差はない。
二男のためのシューズを選んだというので送られてきたサイトの購入ボタンをクリックした。
これで息子のもとにシューズが届くのであるから、なんと便利な世の中だろう。
送ったよと伝えるため二男に電話をかける。
が、応答はなかった。
おおさか東線のホームに降り、次の電車が来るまで15分もあると知って路頭に迷いかけたとき、二男から折り返しの電話が入った。
先日送った本の感想に続いて最近作った料理や友人の近況がもたらされた。
大阪星光の仲のいい友だちが高円寺を気に入って、先日近所に越してきたという。
いろいろな話を聞くにつけ思う。
やはり星光生は仲がいい。
星光生の表情がデフォルトで温和なのは、そういった良好な関係の積み重ねによるものと言えるだろう。
そして、その温和が陽だまりのように人を誘ってますます良きグループが形成されるということになる。
そう言えばわたしがこの日まわった仕事先もすべて星光つながりであった。
夕陽丘発の暖流の恵みを享受するのは、66期だって33期だってその他の期だってみな同じことなのだった。
二男のためにシューズを選べば、長男のためにも選ぶ。
二男との電話の後、わたしは長男に電話をかけた。
しかし、留守。
そのままわたしは電車に乗って仕事先に向かった。
仕事を終え夕刻の街路を駅に向かって歩いていると、長男から折り返しの電話がかかってきた。
ビデオ通話だったから、そこで立ち止まって画面を見ながら会話した。
眼前に息子がいるも同然。
なんて便利な世の中だろう。
Netflixで放送されている「新聞記者」と「ヤクザと家族」が面白い、といった話や同期6人で訪れた長野旅行についての話を息子から聞いて、キリがないのでまた後でと言って電話を切った。
他愛のない一日を無事平穏に終え、後は家に帰るだけ。
電車に揺られ周囲を見渡し、わたしは思った。
どんな登場人物に取り巻かれるか。
それによって人生の幸不幸が決まる。
そういって過言ではないだろう。
わたしは自身を取り囲む面々のことを考えた。
家族をはじめ愛すべき存在ばかりが頭に浮かび、その数が年々増えていることに気がついた。
夕陽丘に端を発する暖流の恵みは、衰えることなく膨らんでいくばかりなのだった。