午前中に訪問業務を終え、事務所への帰途、地元の神社に向かった。
午後二時の太陽を遮るものは何もなく、お天道さまの為すがまま、常軌を逸する熱射が長堀通に降り注いでいた。
異常な暑さがはるか昔の記憶をあぶり出した。
場所はインドのデリーで、容赦ない熱射を浴びて大学生であったわたしは身悶えた。
暑さの何たるかを身を以て知り、以降、そんな暑さと無縁で過ごしてきたが、唐突に大阪市内という意外な場所で「再会」を果たしたようなものだった。
iPhoneに目を落とすと38℃とあった。
やはり「あいつ」が現れたに違いなかった。
神社に着いて、苦悶に歪む表情を素に整えてから、手を合わせて頭を下げた。
来た道を引き返し、やはり後ろから前から激烈に暑く、身の危険を感じてつくづく思った。
まもなく53歳。
暑さに抗する地力が衰えている。
余力はあるが、さほどない。
そう直視する他なかった。
暑さで朦朧とするなか、先日の一場面が脳裏を掠めた。
カネちゃんやタコちゃんのいる場にサイトーミキやハザマくんがまざって一緒に食事した。
ミキの息子が73期になったと聞いて、めでたいめでたいと賑やかに飲んだ。
33期と会うとやはり楽しい。
週末ならいつでもいけるとタローが言っていたからアベやタニグチらにも声を掛け芦屋あたりで企画して、アキオやキジくんらと集まってシマダも呼ぶなら阿倍野あたりでどうだろう。
熱射に晒されつつ、楽しい憩いの場面が眼前に次々浮かぶ。
そうそう、憩いの原点と言えば、学校や南部や黒姫でのどうでもいいような「間」の時間がそうであり、どうでもいいように一緒に過ごして話してそれが実は最も楽しい時間であったと思う。
コロナの影響で途絶えていたが、やはり目を向けるべきは33期で、ここを疎かにして一体何の人生と言えるだろう。
しかも残り時間が無尽蔵という訳でもない。
息子は66期でこれが実に仲がよく、この夏も一緒に旅行するという。
66期は66期で「間」の空気感を卒後も継続させて適度に息を抜いて皆で楽しく過ごしている。
だから33期もたまには会って途切れた「間」の時間を「今」に取り戻すのも悪いことではないだろう。
中年にこそよき息抜きが必要だと思う。