電話が鳴った。
長男からだった。
ちょうどジムを出ようとしていたところだったが、中に戻ってベンチに腰掛けた。
眼下にプールを見下ろして息子と話す。
会社に申し出る配属希望について彼の考えを聞き賛同し、あとは雑談。
最近読んだ本の内容を彼が話し、ぽつりと言った。
もっとたくさん本を読めばよかった。
まだまだ、これから。
21歳でそう気づいたのであれば僥倖。
いまのようにこの先もどんどん戦闘的に読書していけばいい。
わたしの返答を受け息子は言った。
友だちとの酒席を断って読書に充てる。
いやいや、何事もバランス。
酒席もあれば読書もある。
それが人生の彩りで、偏ればつまらない。
わたしは言葉を続けた。
適正値は80対20。
大事と思うことを80にするとして、酒席なども20は残す。
そして案外その20の許容分が先々ものをいう。
100を求めるのは原理主義的で結局は矛盾を孕み、そのこだわりがブレーキになっておよそ100から遠ざかる。
最初から20の余白を含み込むのがリアリストと言えるだろう。
長男との電話を終えたとき、二男からラインが届いた。
こういう勉強をいま進めているとのメッセージに専門書の書籍一覧が添えられていた。
かなりの出費に違いない。
その場ですぐ二男に電話し、金額を聞いて振り込み、本代に糸目をつけなくていい、迷えば買うくらいでいこう、と伝えた。
電話で話し、息子の学ぶ意欲の高まりが伝わってきて、父としてこんな嬉しいことはない。
思えば最初はサル同然だった二男もある頃から相当な優秀さを顕にした。
だから青年になって学業への向上心が発動するのも当然と言えば当然の話であった。
100%応援すると言って電話を切った。
子を応援する場合に80なんてケチな話はない。
100でも足りない。
そう思ってこそ親バカの称号を冠せられる。
自転車に乗って自宅へと戻りながら、つくづく感じた。
衣食住という暮らしのスタイルと音楽の趣味とスポーツ愛好については家内から、読書と映画鑑賞の習慣についてはわたしから。
トンビの「跡」が二人の息子のそこかしこに刻印されて、多少なり有効活用されているのだった。