業務を終え明石駅で途中下車した。
あと半時間ほど終業が早ければジムへと向かっただろうが、この日、夕刻を過ごす場としてわたしは明石の飲み屋を選んだ。
駅で塾へと向かう小学生の一団を見かけた。
うちの息子らにもそんな時代があったと懐かしい。
いつもの駅前の店に入って、当時を回想しつつ自身をねぎらった。
あの時期を乗り越えたからこそいまがある。
もし、中学入試を経ていなければ、あいつらのことである、他に関心領域を見つけ勢いよく明後日の方向に突っ走っていたかもしれない。
目標を同じくするある種の同質性のなかに置かれ、そこは良き相互作用が働く場でもあった。
だから、好きなことをしながらもそこそこ学力がストレッチされたのだろう。
そして卒業後も中高の友人たちと仲がいい。
その顔ぶれが頼もしい。
東京でも深く交流し、その相互作用は、いまもって衰えることがない。
もしかしたら学力よりもこちらの方が主産物と言えるのかもかしれない。
二軒はしごして、家内のための土産を買った。
家に帰ると「急いで、急いで」と家内が手招きするので、ベランダに出た。
ブルーノ・マーズのコンサートのために買った双眼鏡を渡され、家内に促されるまま夜空に浮かぶ月を見た。
ちょうど月が地球の影に覆われ尽くされようとしているところだった。
が、そのとき長男から写メが届いた。
わたしたちは月から即座そちらに目を移した。
同じ商社に内定した仲間と会食しているとのことで写真にその様子が写っていた。
で、男子皆がかなり男前だったから驚いた。
うちの息子も顔で選ばれたのかもしれない。
そう言って夫婦で笑った。
皆既の真っ最中であった月はそのとき完全に夫婦の関心の外に追いやられ、浮かんで見えるのは息子の満面の笑顔だった。