実家に寄った。
この日も家内が焼いてくれた肉を携えた。
父は喜んで言った。
ほんま、おまえの嫁さんが焼いてくれる肉はおいしいわ。
小一時間ほど喋った。
妹の娘たちがともに大学生でみな東京で暮らす。
先日、うちの息子らと一緒に赤坂で焼肉を食べたという。
定期的に食事し、たまに遠出でもするくらい、みな仲がいい。
小さい頃からしょっちゅう一緒に遊んでいて、そのままの関係が続いているから微笑ましい。
そんな話を嬉しいそうに父が聞く。
母もきっと喜んでいるだろう。
言葉にこそしないが、父がそう思っているのは間違いのないことだった。
実家を後にし、そこらを歩いた。
実家に孫らが遊びにくると母は近くのツタヤへとちびっ子たちを率い、ちびっ子たちは胸を踊らせた。
うちの息子たちにとって忘れられない存在のそのツタヤが姿を消して、日用品を売る雑貨屋に置き換わっていた。
貴重な思い出の場所がひとつ消えてしまったのであるから物悲しい。
近くにある銭湯も姿を消していて、わたしはしばしその前で立ち尽くしてしまった。
実家に寄った際、小さかった息子らをよくここに引き連れた。
懐かしい風呂が記憶のなかだけの場所になってしまった。
これまたやはり物悲しい。
帰宅すると、パワーヨガのレッスンの日であったから家内は留守だった。
この日の朝、いわし雲が浮かんですっかり秋模様となった空を仰ぎ見ながら武庫川をたっぷり走った。
一日の運動量としてそれで十分であったが、暇なのでわたしひとりでジムに行くことにした。
筋トレして泳いで運動の快楽をほしいままにし、その勢いで夜は近場の居酒屋をはしごした。
ほとんどのことにさしてこだわりはないが、絶対に失いたくものがある。
それらを強く胸に刻み、移ろい行く時間のなかうたかたの宴に浸った。
結局、この日消費したカロリーを埋め合わせて余りある量を食べて飲んだ。

