口が重たいタイプなので普段、あまり喋らない。
ただ仕事になるとそうはいかないから重たい自分を放り出す。
中を空っぽにすれば不思議なもので話すことが立て続けに頭に浮かんで、もしかしたらわたしは饒舌なのかと自身を取り違えそうになる。
しかし、通してみれば黙っていることの方が多く、分類するなら饒舌からはほど遠く強度の無口の部類に振り分けられるだろう。
だからもし若い頃に自身を取り違え、話すことがもっぱらといった職業を選んでいたら、日々相当なストレスに苛まれたに違いない。
幸いデスクワークが中心の書類書きで、いまや連絡手段は電話ではなくメールが主体であるから、無口であってもなんとか体裁を取り繕うことができる。
それに仕事では気が張っていて仮に話さねばならない場面に遭遇しても、次から次へと浮かぶ言葉にかなり厳しい検閲を施すから、話して失態を犯すといったことは滅多にない。
が、いざ仕事を離れた飲み会などで、話さねばと勢い込むと次から次へと失言が飛び出し、翌朝、寡黙な自分に還って反省することしきりとなってそんな日は更に押し黙ったままということになる。
そのように無口がデフォルトのわたしであるが、息子らを前にしたときだけは、まったくのノーガードになって言葉を発する。
失言も含めぜんぶひっくるめてまるごと父親なのであり、息子に対して黙っていては始まらず、話す機会など数が限られているのだから、「いまここ」を逃すなどあってはならない。
千本ノックと同じこと。
父は息子に一言一言まさに親身に語りかけ、その成長に寄与しようと全力を傾注するのだった。
もうすぐ、二人のうちの一人が帰省する。
揚々として果てぬわたしの話し声が隣近所に響き渡ることになるだろう。