KORANIKATARU

子らに語る時々日記

「役」と呼ぶしかないような非常事態

大学入試のため長男も二男も上京した。

 

出発日はともに2月11日。

すべて同じ大学、同じ学部を同じ日程で受験した。

 

長男のときは2019年。

2月の段階ではまだ年号が平成だった。

二男のときは2021年。

元号で言うと令和3年ということになる。

 

うちの歴史を年表にするなら、前者が「平成の役」であり後者が「令和の役」と記されるだろう。

 

当日のことをいまも鮮明に覚えている。

長男は午前中、うちの事務所で勉強し、昼を過ぎわたしと共にタクシーで新大阪駅に向かった。

 

いよいよ。

差し迫った感が互い顔に出て、極限とも言えるほど張り詰めて終始二人とも無言だった。

 

どう考えても全勝するだろう。

考えに考えた末、送り出す際わたしは本気で息子にそう伝えたが、大学入試はそんなに甘いものではなかった。

 

二男はその日の午前中を塾の自習室で過ごしていた。

昼過ぎに塾の前で待ち合わせ、中津駅まで一緒に歩いて御堂筋線で新大阪駅に向かった。

 

一度経験しているから長男のときと比べて余裕はあった。

が、同時に大学入試の怖さについても知悉していたからやはり心はぴんと張り詰めていた。

 

送り際、わたしは二男の武勇を確信し、自信をもって息子に断言した。

ひとつの入試で何百人もが合格する。

そこにおまえが入らない訳がない。

 

しかしこのレベルになると全局面が辛口で構成されて、だから甘い見通しの付け入る隙などどこにもないのだった。

 

つまり始まりから終わりまで。

すべての瞬間が「役」と呼ぶしかないような非常事態だった。

 

受験期間を通じ、わたしは毎朝神社に通い、よく眠れないからその時間は日に日に早くなった。

結局、朝4時には社殿に向かい背を丸めて一心不乱であったから、鬼気迫るとはまさにこのことを言うのだろう。

 

東京へは家内が同行した。

「万一」という事態が訪れた場合、その問題に対峙し見事くぐり抜けることができるのはうちのエース、家内をおいて他になかった。

 

留学先へ送り出すのであれば、ひとりで十分。

実際、長男は中3の冬にゲルフへと独りで向かい、二男は中3の夏に独りでサマセットに向かった。

留学なら成長を促すうえで、単独であることが好ましい。

 

が、受験の場合は話が異なる。

成長を促す以前、その機会を得る戦いであるのだから、独りで行かせるかどうかなど二の次の話であり、リスクの低減こそが最大の眼目になるのだった。

 

だから家内を最強のマネージャーとして帯同させた。

そして現場にあって家内の労苦は、神社で手を合わせるわたしの比ではなかった。

 

張り詰めた感情に同化しつつ平然を装いおいしい食事をあれこれ調達し、その戦いの日々を楽しいアドベンチャーへと変貌させた。

それができたのであるから、やはり家内は役者が違う。

 

2月11日と言えば、その「役」に臨む日であり、いまもその日々がありありとよみがえる。

 

結局、長男も二男も大願果たせず黒星でその「役」を終えることになった。

が、捲土重来は同じ「役」ではなく、先に進んだ次のステージで。

 

複数得たささやかな白星のなかから進路を選び、ああやれやれ、家族みんなで力を合わせ、いまも楽しいアドベンチャーが継続している。

2019年2月11日と2021年2月11日の新大阪駅