目覚めると胸がすくような青空が広がっていた。
窓を開けその青空を部屋へと呼び込んだ。
清涼な風が部屋に吹き込んでくる。
山間の緑の香をふんだんに含んでいるから実にかぐわしい。
その風のリズムとシンクロし、細い白波が重なったり離れたりする。
時が有する本来の緩やかさが視覚化されているも同然だった。
朝食の際もそんな景色をずっと目にし続けた。
これはもう優美な時間というしかなかった。
そして食後も引き続き、そんな風景と一体化して過ごした。
家内は窓外に向いて風呂に入り、わたしも同じく窓外に向いて自重を用いて筋トレに励んだ。
チェックアウト後も、せっかくの好天をもっと味わおうとホテルで自転車を借り、海に沿って風に吹かれ、春を思わせる暖かな陽光を受けながらのどかな田舎道を疾駆した。
カラダを動かすと時間はその歩みを早めるのだろう。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、志摩を離れる時刻が近づいた。
ホテルのラウンジで汽車の時間を待ち、往路と同様、復路もしまかぜで帰阪した。
さて、夕飯は?
鶴橋で乗り換えるのであれば、今里にある万宝家だろう。
夫婦で意見が一致した。
特急を降り、駅のホームで各駅電車を待っているとこちらに頻繁に視線を送ってくる女性の姿があった。
列車に乗ったところで家内が教えてくれた。
結婚前に一緒によく遊んだ友だちで、互いその存在に気付いたはずだが、声をかけるまでには至らなかった。
分厚い時間が経過して、女性の関係にもいろいろと変化が生じるのだろう。
あの頃のつながりはもはや過去のもの。
互いが瞬時に察知したということなのかもしれない。
その昔、家内が鶴橋駅から電車に乗るなら準急だった。
それがいま男と二人、各駅電車に乗り込んだ。
古い女子友の目に、わたしたちは今里の下町あたりで暮らす夫婦に見えたかもしれない。
万宝家の店の前には鈴なりで自転車が停まっていた。
店内は大勢の人がひしめいて、声が飛び交い視線があちこちで交差していた。
文字通り、今里。
わたしたちは山から里へと戻ったのだった。