三泊四日の東京滞在中、フットマッサを受ける間はなかった。
自転車を使った土曜を除き、連日2万歩以上を闊歩したからカラダは実に切ないくらいにフットマッサを求めていた。
しかしスケジュールが押して、今回は先延ばしにするより他なかった。
だから帰阪後の月曜日を疲労回復デーと定め、わたしたちがフットケアを受けるのは当然の成り行きだった。
わたしは仕事後、ジムへは行かず家より先に駅前のマッサージ屋へと向かった。
そこで足を45分間にわたってほぐしてもらった。
膝から下をケアしてもらうだけなのに、足はもとより腰から頭まで楽になって内側も活性化されるからだろう、胃がぐーぐーと小気味良い音を立てた。
この日家内は奈良を訪れていた。
最盛期の紅葉を鑑賞するため山道を歩くとのことだったのでなんて元気なことだろう。
その帰り道、わたしと入れ替わりで家内はフットとボディの各々45分の施術を受けた。
家で合流し、わたしたちはマッサージの気持ちよさについて語り合った。
しばらくご無沙汰している間にまちがいなくエジソンはその腕をあげていた。
灯台下暗しとはまさにこのことで、今後は余計なことを考えずこの一択、近場で用が足りることになる。
家内がマッサージを受けている間、わたしはお腹が鳴るのでうどんを腹にかきこんだ。
それで満腹だったが、家内がさっさと豆乳ベースの野菜と鶏肉の炒めものを作ってくれた。
互いノンアルの缶を開け、軽く食事をつまみながら話し合うのはカラダのケアについてだった。
五十を過ぎるとあっと言う間に還暦へと至って、いろいろとガタがくる。
誰しもが口を揃えてそう言うから、わたしたちは今後カラダに対しベストなケアを施していかねばならない。
マッサージなどその筆頭に挙がるだろう。
しかし、マッサージという「楽」だけだと効果は望めない。
「苦」が伴ってこその「楽」であり、どちらかを欠いては意味がない。
だから今後も、普段はジムでカラダを鍛え、休みの日はあちこち旅行してたっぷり歩かねばならない。
それでヘトヘトになるからこそ、カラダはマッサージを渇望し、そしてマッサージを経てカラダが息を吹き返す。
二人は滑り台をイメージした。
階段をあがって、すべり面にカラダを預けて滑走する。
ああ楽ちん。
なるほど、これは楽しい。
名付けて大人の滑り台と言えようか。
このようにして何の変哲もない月曜の夜、ジムや旅行やマッサージという夫婦共通の趣味が、ひとつのメタファーとしてかたどられ互いに共有された。