前夜に飲んだ分を清算するべく朝、武庫川を走った。
秋を思わせる涼風が川面をきらきらと波立たせて、実に爽快。
身支度を整え、まずは午前中に伊丹の顧客先へと出かけ、午後に入って事務所前にクルマをつけた。
そこでスタッフに運転を代わってもらい、奈良へと向かい新規の客先を訪れた。
とんとん拍子で話が進んで成約し、いつしか雨の降るなか帰阪した。
事務所前で運転を代わり、わたしは自宅へと引き返した。
家に着くと時刻は夕刻で、家内は留守。
大口の案件も決まったことだし、とわたしの頭に浮かぶのは駅前の居酒屋だった。
わたしは短パンとTシャツという出で立ちで、財布と携帯だけ持って駅前へと足を運んだ。
わたしの習性上こうなるのは当然の成り行きと言えた。
ひとしきり飲んで食べ、へらへらと笑顔で帰宅すると、家の門扉の鍵が閉まっていた。
女房は怒っているのかもしれなかった。
だからわたしはインターフォンを鳴らすのではなく、門塀を乗り越えることにした。
こういったとき、息子たちは必ずそうしていたし、わたしも鍵を持たないときにはたまにそうしてきた。
わざわざ玄関まで出てきて門の鍵を開けてもらうより乗り越える方が早い。
それが男子共通の心得なのだった。
だから勝手知ったる行動であったはずなのであったが、中へと着地したとき右足に違和感を覚えた。
たった150センチのジャンプである。
大したことになるはずがない。
そのときわたしはそう思った。
料理を作っているのに外で食べるなどどういうことなのだ。
家内は怒っていた。
が、仕事での収穫もありこの日はいい話の方が多かった。
まあまあまあとなんとかその場を収めることができた。
翌朝、わたしは早朝4時に起きて仕事にかかった。
父の行きつけの歯医者が服部緑地に移転して、まだまだ酷暑が続く。
ついては歯医者までクルマで送ってくれ。
それでわたしは前倒しで業務に勤しんだのだった。
朝8時半、クルマで実家に向かった。
右足に多少なり違和感はあったが、運転に支障はなかった。
そのうち治るだろう。
その時点でもそう思っていた。
父をピックアップし、谷町筋を北上し曽根崎通りを通過し新御堂へと入った。
「昔は毎日のようにここらをクルマで走った」
父は往時を語り、記憶の細部へと父の意識は接近するが、あれこれ記憶が飛んでいるようで、結局は「懐かしさ」と「もどかしさ」を行ったり来たりするような話しぶりとなった。
ありありと鮮明な思い出もいつかは褪せる。
そんな老いのリアルを間近に見つつも、いま現在進行で息子とのドライブが新たな良き記憶となるはずであるから、年取れば年取るほど新たな記憶を仕入れることが大事と痛感した。
余裕をもって出発したから診察の予約時間よりかなり早く到着した。
先生に悪いと気を遣いつつも、父はにこやかな表情を浮かべて歯医者の中へと入っていった。
「息子に送ってもらったんです」
歯医者の先生と嬉しそうにそんな話をする父の姿が目に浮かんだ。
車内で待つこと40分。
その間もスマホで連絡業務などテキパキこなし、父を自宅へと連れ帰ってその足でわたしは事務所に入った。
しかしどうしたことなのだろう。
右足の違和感の度が増していて、痛い、と感じた。
業務に集中していると痛みが後景に退いたが、その間もだんだん痛みは勢力を強め、やがてもはや耐え難いという状態に至った。
それで事務所スタッフに事情を告げて、わたしは必死のパッチ、ほぼ歩けない状態であったが誰の助けも借りず右足を引き摺るようにして独力で駐車場へ向かった。
クルマまでたどり着き、もうこれで歩かずに済む、助かったと思ったが今度は運転に極度の不自由を覚えることになった。
アクセルであろうがブレーキであろうが軽く踏むだけで脂汗が額を伝った。
顔面を歪めながら悶絶寸前。
高速道路の各所渋滞ポイントを耐え凌ぎ、家に着いたときは玄関で倒れ込むような有り様だった。
這うようにしてリビングへとあがり、常備しているロキソニンをまず2粒飲み下した。
こんなわたしの様子をみて家内は激怒した。
大したことはない、すぐに治してもらうからと言って家内を宥めつつ、午後4時、GOを使って家の前までタクシーを呼んだ。
向かうのは西宮今津中山の「にし整形外科」で、院長が大阪星光の31期でいつもとてもよくしてくれる。
だから救いを求めるならそこ以外になかった。
幸い骨折はなく、くるぶしまわりの捻挫で全治3週間とのことだった。
運転ができるようにとのわたしの要望を聞き入れてくれ、大掛かりなものではなく簡易なギプスを施してくれた。
痛みが消えた訳ではなかったが、ギプスによって痛みの直撃は防げるようになった。
これでなんとか日常を過ごせる。
そう見通せてほっと一安心した。
診察を終えるといつしか外は土砂降りの雨になっていた。
念のためロキソニンテープを処方してもらい、帰りもGOでタクシーを呼んだ。
家に到着する頃には雨が降り止んでいた。
這うのではなくなんとか立って歩く姿をみて、家内の激怒は多少やわらぎ、夕飯を出してくれた。
本場ロッテ百貨店で買った具材を用いた蔘鶏湯がめちゃくちゃ美味しく、仕込みに時間をかけて焼き上げた手羽先も絶品だった。
しかし、家内の機嫌がいまひとつであったからせっかくの料理は写真に撮られず仕舞いで、わたしにも写真を撮る余地がなかった。
つくづく思った。
家内の手料理を差し置いて、飲みに出かけたバチが当たったとしか言いようがなかった。
なにか念力のようなものが家内には備わっているから、やはり敵に回せば恐ろしい。
捻挫で済んで幸いという話であった。