怒鳴られるとその残響が耳にこびりついて離れない。
あのときわたしは直接怒鳴られた訳ではなかった。
電話を通じそこで発せられていた怒声を間接的に耳にしただけである。
それでもかなりの程度、心身を穿たれた。
だから地元の駅に着いて、家より先に神社に寄って頭を下げて手を合わせたのだった。
傍で聞いていたに過ぎないわたしでさえそうなのだから、その場で直接畳み掛けられた当人の受けたダメージは相当なものだろう。
尾を引くのも致し方ない。
事あるごとにその声音を真似たりするのも、一体あの怒声は何だったのかと反芻してのことであろう。
しかし、反芻したところで何かがやわらぐ訳もなく、傷は深まるばかりとなる。
耳は繊細で、この受け身の器官は眼とは異なり閉じることができない。
そして匂いの次により深く、意識の奥底へと捉えた情報を取捨選択せずに運ぶから自ずとその傷は根深いものとなる。
怒声を響き渡らせた当人たちにはおそらく悪意などなかったのだろう。
根は悪い人ではなく、しかしそのとき二人ががりで感情が昂ぶった。
互い鎮め合う方へとは行かず、合いの手を入れ合って言葉がエスカレートしていった。
だから憑き物がついたような状態と言え、いまとなってみれば何事もなかったように接すればいいのだろうが、頭ではそう分かっていても、また激しくあの刺々とした怒声をぶちかまされるのではと思うとやはりカラダはついてこないのだった。
よって足が遠ざかったまま、ただ月日だけが過ぎ去っていく。
つくづく思う。
そこがもしふんわりとしたコミュニケーションのとれる場であればどれだけよかっただろう。
人にはよいコミュニケーションの取れる場所が複数あった方がいい。
ひとつだけだと、万一そこに摩擦が生じたときに救いがない。
複数あればどこかで自己が保たれて、たまたま生じた別の場所の摩擦を深刻化させずに済む。
結果、ほころびはまもなく修復されて全体の調和が盤石で保たれる。
つまり、そこがもし円満な場所であったなら、こっちももっと円満な場所であったはずで、そう思うから少しばかりは恨めしい。
日記を書きながらたまに思い浮かべる。
わたしがこの世からいなくなっても、いつでも息子たちは日記を通じわたしにアクセスできる。
「親父、こんなこと言ってるぜ」といつだって彼らはわたしと交流することができる。
だから、置き土産となるはずのこの日記をやめることなど考えられない。
へえ、そんなことがあったのか。
多くを語らずともあの息子たちであるから断片を眼にするだけで、いともたやすく真相を見抜くことだろう。
わたしという未熟を踏み台に、彼らの眼力がより鋭く優れたものになっていくのだとすればそれこそ父親冥利に尽きる話と言えるだろう。