楽しみは幾つあっても困らない。
ここ最近、楽しみが一つ増え定着化しつつある。
家内が知れば怒るかもしれない。
だとすれば常習化といった方が適切だろう。
気力体力には限りがある。
無限に仕事できるはずがなくどこか一定のタイミングで必ず一息入れる必要がある。
業務が増え移動距離も延びるばかりといった昨今、その一息の重要度は高まるばかりである。
仕事が一段落したときやちょっとした仕事の合間。
わたしの意識は近場のカフェを物色し始める。
気が合えば中へと進んで腰をおろし、自らに甘味をあてがってひとときを過ごす。
この時間が実にいい。
一昔前なら飲んでいた。
そしてそのまま時間の流れは途絶えてしまい、自ずと仕事は撤収となって復旧するのは次の朝、ということになっていた。
が、カフェでのちょい飲みであれば、滞りかけた時間の流れは回復し、何なら当初以上の勢いを得て、つまり輝かしい「第二波」が生じる訳であるから充実度においてかつての在り方など比較の対象にもならない。
気力体力だけでなく、時間にも限りがある。
ならばしっかり時間と向き合うべきで、まもなく老年といった季節に差し掛かるのであればなおさら。
飲んで有耶無耶にしている場合ではないと気負うくらいでちょうどよく、それが良識というものだろう。
街に出ればどこにでもある横丁の甘味がその老年の良識を後押ししてくれる。
セットで千円ほどだから、千円でべろべろならぬシャキシャキで、この常習を一語にするなら「せんしゃき」といった風になるだろう。