大阪の友人と話していて、よく話題にあがる少年が3人いる。
3人とも小学生で同じクラスである。
X君は、乱暴者で通っている。
常日頃から言動が悪辣で有名だ。
のべつまくなし誰かを罵倒し、勢い余って暴力を振るう。
ただし相手は弱い者だけであり、強い者へは至極従順。
目をつけた気弱な同級生P君を遊びに誘うのはいいけれど、毎回500円を持ってこさせ、お菓子で腹を満たす。
強い者への上納も忘れない。
主従関係を明確にするためか、P君の下着にミミズを入れ、上から潰す。
P君は潰されるミミズのイメージを鮮烈にカラダに刻み込まれ、今日もせっせと500円を献上する。
このX君、勉強は全くできないが、しかし、うまく立ち回るのか、先生の知るところとならず、お咎めを受けることがない。先生の方が、強面X君に気を使っている様子だとも聞く。
私がP君の親であれば、いてもたってもいられないだろう。
もう一人は優等生のY君。
学力優秀、運動神経抜群、おまけに男前。
正義感にあふれ、児童の模範的存在である。
一見、非の打ち所のないような理想の少年だ。
親もたいそう自慢に思っているに違いない。
しかし陰ではイジメに加担する。
Qさんをクサイと苛める輪に加わり、Qさんが近づくと手で鼻を覆う。
Y君が加担することで、その行為はクラスで承認された儀式のようなものとなる。
決まった振り付けのように、Qさんが通るとお決まりで、イジメグループは一斉に鼻を覆う。
男の子は多かれ少なかれ、根がいたずら坊主、誰だって、そういうことはする。
特に相手が可愛い女の子であれば、誰しも身に覚えがあるだろう。
しかし、クサイ、といって相手を追い込むのは、サイテー卑劣な行いに違いない。
自己不全感を寄ってたかって植え付けているようなものである。
もちろん、頭のいいY君の立ち回りは絶妙で、先生には伝わらない。
先生は、模範生が大好きなので、こんな話を信じないかもしれない。
私がQさんの親であればいてもたってもいられないだろう。
そして最後の一人がZ君。
Z君、頭の良さも運動神経もX、Y君に劣らないのだが、いかんせんお調子者で、過剰なエネルギーを悪い方向に露出させてしまう。
人を笑わせるのが好きなものだから、先生の話に、いらぬ一言を足して、皆を湧かせる。
先生の上げ足を取って、ふんと鼻で笑う。
先生からすると、こんな小僧に小馬鹿にされるなど、我慢ならない。
先生は、この社会不適応者め!と激高する。
その度、先生に対する謝罪文などを書かされることになる。
「おまえなど、将来刑務所入りだ」「おまえ、大人になったら会社クビになるぞ」などと皆の前で怒鳴られる。
Z君はクラスの一部では人気があるけれど、先生に怒られてばかりなので軽くみられがちのようだ。
Z君には親近感を覚えるので、この子の親だとして頭を巡らせてみる。
刑務所入りもクビも困るけれど、もし会社に勤めるのならば、何年か働いた後その会社を上回るパワーで独立することを目標にすればいいと思う。
先生に対しては、Z君の挙動などいちいち気にするな、もっとクラスで問題にすることがあるだろう、と問うてみたい気がしないでもないが、部外者なので慎もう。
そして、これは言っておかねばならないが、先生の反応が端的に表しているように、処世術としてZ君は完全に間違っている。
事の良し悪しではなく、大人の社会に置き換えれば、いくら悪辣なことを陰でやって誰かを傷つけていても、先生の覚え目出度いY君が取り立てられ、X君は先生の配慮を受け、Z君は叱責され窓際に追いやられる。
まさにZ君は、クビになる、という状態を自ら現出させているわけだ。
もしZ君が正義に目覚め、X君やY君の行いを糺そうと立ち上がってとしても、先生はZ君の話など真に受けやしない。X君やY君に無実の罪でも着せられ更に不利な立場に追いやられるのがオチであろう。
実社会では、いい人が引き立てられ、悪い人がその報いを受け罰せられる、という正義が必ずしも成り立つわけではない。
身の処し方、振る舞い方に気をつけないと、いくら実力があっても立つ瀬を失ってしまいかねないのである。
ここはY君の在り方を参考に取り入れ、先生を笑いの俎上に乗せることをやめるという芸風改革、路線変更を図るべきだろう。
将来、X君の在り方は屈従の道へ行くだけだから放っておくにしても、このままだとY君タイプとの対決で、実力以外で苦渋を舐めさせられる結果になる恐れがある。
ええ子ちゃん作戦、ちょっと考えてみるのはどうだろうか。