KORANIKATARU

子らに語る時々日記

凧揚げママと地を這うタコ


P&GのThank You, Mum のCMは何度目にしても涙を誘う。
晴れ舞台に立つ我が子を緊張の眼差しで母はじっと見つめる。
子は見事やり遂げ母は歓喜する。

これまでの献身が報われたと周囲に勝ち誇るような喜びではない。
安堵感とともに心から子を讃えるといった深いところからしみじみと込み上がってくるような喜びだ。
それに感電し、こちらの涙腺も緩む。

子を授かり、母は才能の種子のようなものを見出した。
それに手を突っ込み引っ張りだすのではなく、それが芽吹くのを見守り支援し続けた。

自らのエゴを介入させるような愚からは程遠い。
我が子と我が事とを混同しない知性と分別が備わっている。

一歩下がって子を支え、母は千人力の後ろ盾に徹してきた。


そのP&G的イメージの母の対極にあるのが、いわゆる凧揚げママ族である。
背後霊は霊感がないと見えないが、凧揚げママ族は界隈どこであっても目にすることができる。
家事など二の次三の次、今日は東へ明日は西、家にある凧全部掲げて街をゆく。

凧揚げママ族にとって、子も数ある凧のうちの一つである。
あれやこれや凧を揚げその高さや大きさ競う凧比べに励むママにとって、子凧が占めるウェイトは計り知れない。

「たこたこあがれ 風 よくうけて 雲 まであがれ 天 まであがれ
あれあれさがる 引け引け糸を あれあれあがる 離すな糸を」

耳を澄ませば、呪文じみた歌声も聞こえてくるだろう。

凧揚げなど所詮は暇人の遊びだなどと一笑に付しては事の重大さを見誤る。
凧揚げママ族は本気も本気、タコを揚げようと血眼になって風を探し、血相変えて糸を引き走る。


うまく揚がればママ族は喜色満面、満更でもない子タコライフだが、飛べない場合は地を這うタコとなる。
これは苦しい。
もうやめての声は、「引け引け糸を」の呪詛にかき消され、どこまでも引きずられ、おい、タコ、と罵りどやされる。
頭に血が昇ってしまって、飛ばない理由の探索やその解決に考えが向かない。
やたら走って引っ張り、そして挙句の果てには放り出す。

決して他人事ではない。
子ばかりがタコとされるのではない。
空中舞う夫凧として狙われたら最後、とんだお門違いだとイカのふりするしか難を逃れる術はない。

凧揚げママ族となる素地持つ女性について見分ける眼力が必ず必要だ。
さもないと、君たちだって知らぬ間に糸くくられ「地を這うタコ」にされかねない。


人前で凧揚げるなんて、こっ恥ずかしい。
人の中身を問わず「みせびらかし」の凧で比べる感覚に面食らう。

凧がどうあれ隣は隣、うちはうち、そのような姿勢こそが、人生の基盤となる。
腰の据わった基盤あってこそ、独自の傑出の種子が芽吹いて花咲き実がなるというものだろう。

凧よりよほどそこになる花実の方に価値がある。
子に咲く花実に比すれば我が事なんてどうでもいい。

そのような非凧揚げ族の子女と出会えれば幸福の何たるかを知ることもできるだろう。
まだ見ぬチビたちにとってもきっとその方がいい。