KORANIKATARU

子らに語る時々日記

必要なのは潔さ

韓流ドラマでは『SKYキャッスル』がいちばん面白かった。 そう家内と意見が一致した。 舞台は富裕層が集うエリア。 優雅に近所付き合いをしているかのようにみせ、その実、子の受験を巡ってとことん張り合い、嘘まで動員し互い見下し合う。 どぎつさ極める各…

中にはスマートでスイートなあんが成る

共通テストの翌日は登校日。 久々、息子は友だちらと顔を合わせ仲良く過ごした。 伝え聞くところ66期も最優秀層は医学部を目指し、さすが最優秀層だけあって並ではない。 自己採点の結果、その先頭集団は軒並み9割を保持していたという。 優秀であれば試験…

ウサギが画面を駆けて家族で和んだ

初日には気がつかなかった。 何人かの同級生が同じホテルに滞在していた。 理系の試験会場は大阪教育大、文系は関西福祉科学大学。 共通テストへの配慮からだろう。 朝の急行は普段止まらぬ大阪教育大駅にも停車することになっていた。 上本町が急行の始発駅…

その着岸をいまかいまかと待つ

土曜日の仕事を終え時計を見ると午後3時。 国語が終わってまもなく英語が始まる。 わたしはジムに向かった。 いま英語の試験中。 そんなことを考えながら胸、腹、足、背中などに負荷をかけた。 試験を終え上本町駅に息子が姿を現すのは午後7時頃だろう。 …

下人としてご奉公に徹した金曜夜

ひとり近鉄百貨店12階の銀座アスターで夕飯を済ませてから、ホテル前にスタンバイした。 ほどなくして2階のパーキングエリアにクルマが入ってくるのが見えた。 駆け寄って駐車の誘導を行い、荷物をどっさり受け取った。 ドアマンに荷物を託し、クルマを降り…

阿呆になれば悪い流れに拍車がかかる

大阪の累積死者数が東京を上回った。 そんなニュースが流れた翌日。 父と会う用事があって、万一のことを考えた。 高齢者にこそ実害が及ぶ。 新型コロナについてはそう知れ渡っていて、かつ深刻さが増している。 父の身を案じるのは当然のことだろう。 待ち…

夜の京都もなかなかのもの

この日、わたしも京都で家内も京都。 別々の仕事で動いて夕刻、京都伊勢丹で待ち合わせた。 人もまばらな地下食で買い物し、エスカレーターで階上へと進んだ。 途中、目についた店に寄り道し、家内が試着したり、用もないのに子供服など眺めて時間が来るのを…

母が誰かで勝負が決まる

夜が明けて、雨が雪に変わった。 窓の向こうに雪が舞う。 心を捉えるその景色にしばし見入って、家内が言った。 もし裕福だったら、スキーを楽しむ家族になれたかもしれない。 裕福からはほど遠く、かつ生来の寒がり。 わたしのせいで家族は白銀の世界に触れ…

ゾロ目の祝日もいつもと同じ

祝日も同様、朝から始動。 午前中にはジムを済ませ、夫婦にて昼以降の予定について話し合った。 この情勢下、感染せぬようまた感染拡大に加担せぬよう、おとなしく過ごそう。 即座そう決まった。 とは言え、必需品の買い物は欠かせない。 パルヤマト西宮店で…

33期四天王

朝ならほとんど人はない。 6時半に家族三人で朝食を済ませ、二男を送り出してすぐ、7時には家を出た。 中津浜線を北上し清荒神清澄寺。 南へと戻り、甲東園の住宅街を縫って門戸厄神東光寺。 そして海に向かってさらに南に下り西宮神社。 快晴の空のもと、…

何があろうと日はまた昇る

振袖姿の写真が何枚も送られてきた。 隣家の女子もいつの間にか二十歳。 月日経つのは早いものである。 写真を見るうち家内はだんだん寂しくなってきた。 うちの息子は東京。 この正月も会えておらず、記念写真は疎か成人となった祝い事を何もしていない。 …

同じ時、同じ場所、切に同じことを願った

強烈寒波襲来との予報に怖気づきながらも、予定通り家内と伊勢を目指した。 前夜、首都圏に緊急事態宣言が発令されGOTOキャンペーンが全国一斉に中止となった。 その影響だろう。 三連休前の金曜なのに伊勢志摩ライナーには空席が目立った。 家内とのんびり…

一寸の虫にも五分の魂

正規で買えば何十万もするダウンコートをこのところ街でよく見かけるようになった。 聞けばコピー商品がかなり出回っているようでそれは3万円もしないという。 そう知って以来、そのコートを見かけるたび、いまは疎遠となったある家族のことが嫌でも頭をよ…

リングへの花道を試しに歩いた

午後、仕事の予定が変更となった。 場所は鶴橋。 たまたま難波にいた家内と上六で合流し、昼を一緒に食べることにした。 久々の明月館。 食道園と双璧をなすさすがの老舗。 肉も冷麺も絶品だった。 食後、時間が空いた。 ちょうどいい機会。 共通テストの試…

月日経過した後、その御利益に気がついた

33期はみな賢く、その子らもみな賢い。 年賀状をやりとりし改めてそう感じた。 わたしが阪神受験研究会に入ったのは小6になる春。 かれこれ40年近く前のことである。 最初の公開テストは惨憺たる結果だった。 700名ほどの受験者がいて、わたしは700番台だっ…