KORANIKATARU

子らに語る時々日記

皆を誘いたくなる上本町の名店

月末に寄るつもりが5日ほど延びた。

ちょうど昼、母とともに馴染みの寿司屋を訪れた。

 

毎月末実家に顔を出すよう心がけているうち、いつのまにか母と昼に寿司を食べるのが恒例となった。

 

母が話す内容は近所の誰それの近況といった他愛のないものばかり。

 

手を振って母と別れ、金木犀香る下町の路地を駅へと歩く。

この昼食が母の楽しみになっていることが分かるので、できるだけ長く続けていきたい。

いついつまでも母が元気でありますように、そう思った。

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2018年10月5日昼 中にぎり

事務所に戻り電話業務などの合間、11月と12月の飲み会の予約を入れた。

 

11月は神戸住吉の中華レイユームン。

12月は芦屋の安愚楽。

 

念の為、少し多目に席を確保した。

集まり芳しくなければ例のとおり家内を連れていけばいい。

 

そう思った直後、先日の飲み会でのやりとりがよみがえった。

 

同窓会に新婦を連れてくるのは是か非か、という話になって隣席に座る彼は言った。

関係のない人間を連れてくるのはおかしいやろ。

そう思ってたやつ絶対おるで。

 

わたしは言葉を返した。

 

別にええんちゃう。

そいつの嫁や子どもなら、フランクに歓迎するんが友だちちゃうか。

 

彼はこう応じた。

知らんやつ連れてくるんはおかしい、そう意見するのも、それはそれでフランクやん。

だいたい同窓生はただの同窓生で、それを友だちって思ってないやついっぱいおるで。

そういう奴ともおれは結構一緒に飲みに行くけど、そいつらはなんで星光の集まりなんか行かなあかんねんとしか思ってない。

 

そこでわたしは言葉に詰まって会話は終わった。

 

友だちでないのであれば、遠い過去に面識あるだけの単なる他人同士。

忙しい合間を縫って、わざわざ顔を合わす理由はない。

ましてその伴侶や子どもなど無関係にもほどがある。

 

そういう考えの者も少なくないのかもしれない。

 

失われた機会を取り戻そう、との一念で皆に集まろうと声を掛けてきた。

中高時代、たまたま関わりが少なかったとしても、再会すればそこからまた交流も生まれる。

話し足りなかったあれやこれやについて、思う存分、続きが話せる。

それは豊かなことであるに違いない、そう思ってきた。

 

大の大人が言うにはナイーブな話かもしれないが、その根底には友だち復興、といった願いがあった。

 

関係ない、でことが終わりであるならば、わたしの声掛けなど往来で無用なビラを配る類の傍迷惑な行為に過ぎない。

 

だから、関係ない派の立場の者は思うのだろうか。

 

今度の飲み会。

わたしが家内を連れて参加した場合、「なんで関係ないやつがおるねん」。

 

そんなことを言う者がいるなど考えられず、歓迎してくれる図しか浮かばないが、そうではない人もいる可能性がある。

そう心得ておいた方がいいのだろう。

 

たとえば、わたしが早くに死んだとする。

そう想定してみると結論が見えやすい。

 

この日記に登場する人物に会いたいと、もしうちのおかんが思って皆の集まりに顔を出したり、またはうちの息子が、親父の友だちはどんな人たちだったのかと思って末席に腰掛けていたとして、「関係のない人間がなんでここにおるねん」と思う人もいるということである。

 

わたしにとって究極的に大事な存在が、シニカルな視線に晒されるのだとしたらこれは耐え難く、そんな「フランクな」人間関係などまっぴら御免という気持ちになる。

 

小さな理屈には奥行きがなく招く結果は世知辛い。

「おまえなんか知らん」と一方がフランクに言い、言われた方も「おれもおまえなんか知らんわボケ」とフランクに言い返す。

それでおしまい。

 

おそらく人類一般はそのような行動のコードを選択していない。

が、アキ・カウリスマキの映画を恋しく思う人もあれば、退屈に思うだけの人もいて人ぞれぞれ。

考え方も関わり方も当人の自由の範疇に属する。

 

みんなで仲良く、と思うのはおバカに過ぎて、選択的に付き合うというのが、大事な存在を傷つけないための大人の作法ということになるのだろう。

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今週後半の朝弁当と昼弁当 太麺オムそばが今回もまたグランプリ

宗右衛門町の客先を後にし、風呂に寄ってから事務所に戻って着替えた。

 

黄色いシャツを選んだ。

家内と連れ立つときにだけ着るが、結婚前の誕生日にもらったものなのでかれこれ19年もの付き合いになる。

 

短い人生、モノにも愛着もった方がいい。

時を経るうち歴史がそこに縫い込まれ、モノが人称的な存在になってくる。

すべてがかけがえのない相棒のようなもの。

とても粗末には扱えない。

 

この夜、行き先は上六の味菜。

知る人ぞ知る料理人、副島文明氏が円熟の腕をふるう名店である。

 

刺身から始まって、伊勢エビとカニが登場し、松茸が牛肉をまとって現れ双方互角の味わいを醸し、あわび、ステーキ、土瓶蒸しへと続いた。

 

洗練された料理のセンスが素晴らしく、はじめからおわりまで感嘆の声を抑えようがなかった。

 

締めは稲庭うどん。

コシがあってうまい。

うどんだけでも暖簾を出せるほどの出来栄えと言えた。

 

タコちゃんにも勧められるし天六のいんちょも気に入るに違いない。

それくらいにハイレベル、訳して極上。

 

食い道楽、大阪の奥は深い。

上本町という近場にこれほどの名店があったなんて。

次回は皆で集まってこの喜びを分かち合いたい。

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2018年10月5日夜 上本町 味菜