チケットは前日に家内が購入していた。
9時9分新大阪発で11時36分に東京駅着。
だからわたしがツイッターでその報に触れたのはのぞみが品川駅を過ぎまもなく東京駅に着くというタイミングでのことだった。
大和西大寺と言えば月に一度は訪れる見知った日常の場所である。
テレビで見慣れた元首相がそこで凶弾に倒れたというから、衝撃の度は凄まじかった。
昼食の場所として家内が丸の内テラスのTHE UPPERを予約していた。
東京駅を降り大手町の緑の中を歩き、25℃という涼しさに心地よく身をひたし、しかしその一方、ぐったり来るような意気消沈を拭えず足取り軽くという訳にはいかなかった。
昼を食べつつ、家内とツイッターにて続報を注視した。
どうやら助かる見込みはない。
各種映像を目にし落ち込みの度は増すばかりだった。
そのとき、何をしていたか。
衝撃の度が大きいとその分、記憶は鮮明なものとなる。
阪神淡路大震災が起こった朝、わたしは8時前に芝公園にある会社に着いて事態を知った。
テレビを見てすぐ大阪の実家に電話を掛け、しかしまったく繋がらず何度も何度も電話を掛けた。
仕事どころではなかった。
地下鉄サリンの際も、同じ。
会社に着いてから、いま乗ってきたばかりの地下鉄でそのようなことが発生したのだとテレビで報じられてはじめて知った。
東日本大震災のときも忘れない。
そのときわたしは堺筋本町にあるビルの11階でエレベータを待っていた。
大きく揺れて、その日、曇天の大阪の景色がやたらくっきりと目に残った。
7月8日午前11時半過ぎ。
東京駅に着こうとする瞬間のことをわたしたち夫婦は生涯忘れることはないだろう。