日曜の朝、武庫川を走った後で断捨離を手伝った。
場所は一階の和室。
テレビで流すのは007/スカイフォール。
長男が無事中学受験を終えた後、梅田に出かけ家族四人で観た映画であるから懐かしい。
収納の奥の奥からちびっ子だった彼らが着たラルフのジャンパーが姿を現した。
広げて驚いた。
その昔、彼らはほんとうに小さかったのだ。
サイズに隔世の感があって夫婦でしばし感慨にひたった。
上等な着衣は大事に着る。
だから着古されることなくほぼすべて、家内がミーちゃんだとすればケイちゃんとも呼ぶべき友人がいてそこの男子二人がうちの息子らを追いかける年齢であるから需給一致し、そこに引き取ってもらっていた。
が、なんであれ全部根こそぎということは起こり得ず、このように居残るものもあるのだとジャンパー2着を広げて思った。
着衣に限らず例えば記憶もそのようなものかもしれない。
一切が消え去る訳ではなく、何かはこのようにしっかり残り、ふとした拍子に浮上する。
家で昼を済ませ引き続き家内の用事に付き合った。
午後3時、心斎橋。
気取った店には気後れするからわたしは入らず、車内で待った。
溜まった新聞の切り抜きを読めば一時間などあっという間だった。
陽気な笑顔で戻った家内を乗せ予約してあった店へとクルマを走らせた。
ウィークエンドの曲を流しノリノリで高速を突っ走っていたが、武庫川を過ぎたところで渋滞につかまった。
芦屋で降りる際、反対車線にトラックが全焼しあばらとなった姿が見えた。
強烈なインパクトがあるからここでノロノロ運転となって大渋滞になるのも頷けた。
向かう先は苦楽園だった。
日曜夕刻、関西屈指の山の手にひしめき合う車列を縫って、なんとか目的地にたどり着いた。
店の名は、コッタボス。
もともと垂水の店だったのが、もっぱら客が阪神間から来るというのでこちらに越してきた。
本格的なメキシカンは、メキシコ駐在の日本人の間でも有名なのだという。
家内はワイン、わたしはサンペレグリノを頼み、料理はお店に任せた。
運ばれてきた料理を一口食べるごと家内と顔を見合わせた。
ムール貝のヨーグルトマリネ、フレンチフライ、豚とコーンのスープ、鶏もも肉のコンフィ、タコス、サラダなど。
口にしたすべてが美味しく、未知なる美味との出合いに感動の連続となった。
まもなく師走。
息子らが帰省した際は連れてこよう。
夫婦でそう決めた。
小さかった彼らもそれなり大きくなった。
だからいまや同じ目線で料理を楽しめる。
未来の記憶が夫婦で共有されて、ああ、待ち遠しい。
子によって親は過去と未来、両方の記憶に挟まれる。
多重で感慨が深まっていく。