土曜日の夕方6時ちょっと前、北野坂木下の入るビルの前に到着した。
中を覗くと扉の向こう、一階の待合席に座るアベとオモテの姿が見えた。
奇しくもともに家内の主治医である。
やあやあと手を振って、家内を伴い中へと入った。
二人の隣に座っていたセーケが家内を目にするなり立ち上がって席を譲ってくれた。
星光生はいつだってどんなときだって心優しいのだった。
久しぶりと声を掛け合っていると、賑やかにミキが現れスキイチが続いた。
まもなく定刻。
店のコンシェルジュが一階に降りてきてわたしたちを二階まで案内してくれた。
3年先まで予約で埋まる北野坂木下の一番奥の席に家内が座り、横にアベ、ミキ、スキイチと並び、わたしが間に入って、オモテ、セーケの順でカウンター席に腰掛けた。
そして、午後6時ジャスト。
タニグチが現れ、マッチャンも登場しこれで全9席が奥からすべて埋まっていった。
この店を貸し切りにできたのは家内のおかげ。
だから、大阪星光33期8名に家内が加わるのは当然の話であって、メンバーの誰もが家内の登場を歓迎してくれた。多分。
しばらくぶりの再会であったから、横一列に並んで右から左から話し声があがってクロスして、料理どころではないといった序盤の雰囲気であったが、そこはさすが天才木下。
ああ、やはり北野坂木下はすごかった。
ザワザワとしたなか料理が出され、ザワザワとしたまま一品目を口にするや、みなが一斉に押し黙った。
以降、北野坂木下に完全に統治される時間がはじまった。
あまりに美味しく、料理が出されるたびこれはなんなのだと皆が息を潜め、口にして息を呑んだ。
こりゃうまい、なんじゃこれと当初は言葉の次元を保っていた発話も、やがては、あーとかうーといった単に原始的な発声に取って代わられた。
次の料理を待つ間だけ歓談するといった様相で、実にメリハリの効いた行儀のいい食事の時間となった。
各自ペアリングでワインもさんざ飲み、大満足の食事を終えてお代はひとり4万円となったが、33期も五十を過ぎてそれくらいどおってことのない額なのだった。
わたしは家内と合わせて、81,790円。
二人合算での最高値、谷町にある鮨三心での76,000円がここ三宮の地にて塗り替えられた。
横一列で感嘆し通しだったから、久々会ったのに話し足りなかった。
だから、では二次会へとなったのだが、真面目なわたしたちは店を知らず、行く当てもなくテキトーに目星をつけて、夜の繁華街をぞろぞろと歩いた。
途中、飲み屋が多く入居するビルがあり、入り口にいろとりどりの店のパネルがあったから、みんなで足を止めどれにしようか話し合った。
そこにどこかの店の関係者らしきお兄さんが通りかかり、店の説明をしはじめた.
それを聞くともなし聞いて、やはりわたしたちは久々だったので、話もそこそこに、「めっちゃ胸筋すごいやん」とか言いながら、互いの胸筋に手をやってその感触を確かめ合い、「やめろよ、くすぐったい」と言って身をよじらせながらも、胸に力を入れ日頃鍛えあげた胸筋を各自誇り合うのだった。
そうこうしているうちに店が決まって、エレベーターへと進みつつ、わたしは思った。
仕事を通じて仲良くなったような人と胸筋の触り合いっこなどできやしない。
やはり十代の子ザル時代を共有しているからこそ。
五十を過ぎてそんなことができる仲の貴重を、妖しくネオンのまたたく夜の繁華街にてわたしはひしと感じたのだった。
場末感のあるバーにてみなで飲み直し、そのなかにうちの家内も混ざってなんら違和感がなかった。
次はどんな店で集まろうか。
そんな話をしつつ、次はうちの家に来てもらうのがもっとも適切であるように思え、家内もそう思っていただろうから、きっとそうなるのだろう。
そして夜の11時になってお開き。
勘定となるが、お代4万円と記された勘定書きの傍にいたアベ、タニグチ、ミキ、オモテらが各自さっと1万円ずつ出してあっさり払いが済んでしまった。
さすが星光生。
9で割るといった野暮なことなどしないのだった。
じゃあ、またね。
阪急とJRに別れ、それぞれ車中の人となった。
出だしから最後の最後まで。
ほんとうに楽しい時間を過ごすことができた。
それは家内も同様で、改めて33期の心優しい雰囲気を実感したであろうし、66期の二男もこんな輪の中にいるのだろうと分かって心底安心できたに違いなかった。