日本とまったく異なる。
ソウルの街路を家内と歩いてつくづく思った。
日本でならそこら中にそこそこの器量の女子がわんさかといる。
もしソウルの男子が阪急電車に乗ったり、西宮ガーデンズの中を歩けば、美形女子の多さにきっと驚くに違いない。
もちろんソウルにおいてもそれなりのという方をお見かけした。
しかしどうやら外科的な手が加えられていることが如実に察せられ、そこも含めて彼我の差を夫婦揃って痛感したのだった。
狭い半島のなかで閉じ、日本みたいに弥生やら縄文といった異種の遺伝子が混じり合わなかったからなのだろうか。
いずれにせよ、彼の地においてはなるほど美へのニーズが大きいはずで、だから美容大国となるのは必然。
そんな実態をわたしたちは目の当たりにしたのだった。
最終日はソウルの富裕層が集まるカンナム界隈を家内と歩いた。
特に狎鴎亭にある現代百貨店などは富裕層の総本山ともいった様相で、各フロアで美形の女性を大勢見かけて圧倒された。
身も蓋もなく美は力であり、力はシンプルに富と結びつく。
彼の地におけるそんな明快なメカニズムをわたしたちは思い知らされたようなものであった。
この日は冷え込みもやわらぎ、うららかな陽の光に満ちた日曜だった。
そんな路上で、帽子を目深にかぶり顔中包帯だらけの女性と幾人もすれ違った。
わたしたちにはそれが奇異に映ったが、この国においてはどうやら普通の光景であるようだった。
痛々しく見え、包帯でぐるぐる巻きにされた薄暗がりの奥底で当の本人はほくそ笑んでいる。
そんな薄気味悪いような笑顔が目に浮かび、わたしは怖気を覚えた。
まさに文字通り身を削ってのサバイバルであるから、とても太刀打ちできやしない。
素の自分のままでは跳ね飛ばされる。
ここはなんてハードな国なのだろう。
夕刻、わたしたちは尻尾を巻いて日本へと退散した。