終日机に座りっぱなしだったから、仕事を終え「走りたい」との衝動がせり上がってきた。
パーソナルの予約がある家内はジムへと向かい、わたしは日暮れ間近の武庫川へと駆けた。
武庫川に差し掛かり、犬の散歩をしていた人とすれ違った。
そして、それが人の姿を目にした最後となった。
日中は色彩に溢れる一帯が暗がり一色へと収束していくなか、わたしは走り始めた。
デスクから解き放たれ、スピードも動きも自在にコントロールできることが嬉しくて、わたしはどんどんペースをあげて走った。
風を切って軽快に足をどんどん前へと踏み出していく。
なんて気持ちがいいのだろう。
音楽を耳にしていたが、そのほかに聞こえてくるのは吹きすさぶ風の音くらいで、あたりは静寂に包まれていた。
川沿いのアップダウンを進むクルマのライトが明滅して見え、そのほか屋外灯がまばらに立つだけだから、光も僅か。
次第に意識が変性し、見慣れたコースが異界と化した。
寒空の暗がりを黙々とひた走り、わたしの眼前には先日の食事の場面がありありと蘇っていた。
スクリーンに映し出されるように食事処の光景が暗がりに浮かび、武庫川の下流へと進んでいった。
カウンターだけの店だった。
わたしと家内は端に座っていた。
他は女性だけの5人グループが陣取っていた。
食事のコースがはじまって、グループの会話が賑やかさを増していった。
同志社、同志社との語が頻発し、ほどなくして女性たちが同志社の保護者ママたちなのだと分かった。
それにしても同志社、同志社との語が声量も豊か明瞭に頻出し、これは聞えよがしなのだろうとわたしたちも察知せざるを得なかった。
同志社と言えば関西の雄である。
だから同志社と言えば誇らしい。
よって言葉が高らかとなるのも無理はない。
しかしその一方、徒党を組む同志社チームの蚊帳の外で、わたしたちは徐々に疎外感のようなものを感じ始めていた。
この疎外感は劣等感や不遇感とも近接の感情で、あまり気分のよろしくない、どちらかと言えばネガティブな部類に属するものだった。
確かにわたしたちはその一員ではなく、斜に構えれば高みから見下されているも同然と思われた。
武庫川を覆う闇が一層濃くなり、わたしの頭の中ではその疎外感がリアルに再現され始めていた。
つまり、「疎外感」という想念が、このとき武庫川を走っていたようなものと言えた。
走り終え、武庫川を出て街路に足を踏み入れた。
そこは光に溢れ、当たり前のように人が行き来する場所だった。
さっきまで頭に巣食っていた疎外感は呆気なく消え去った。
しかし、と思った。
さっき頭の中を巡っていたネガティブな想念は決して雲散霧消した訳ではなかった。
日中に星が見えなくなるのと同じ話。
日常の明るさのなかいっとき姿を眩ませただけであり、ちょっとした拍子でまた現れ出るに違いないのだった。
次からは明るい内に走ろう。
そう思った。