KORANIKATARU

子らに語る時々日記

裸足で野山駆け回る方がまだマシ

もうすぐ傾斜が緩くなる。
そんな風に感じられるからだろう。
金曜になると心が弾む。

週末にかけ更に勾配が増したところで心弾むことに変わりはないので、身に染みついた習性みたいなものと言えるかもしれない。

この日は朝一番、近鉄電車に乗って生駒山の麓を訪れた。

前夜、大阪は凄まじい暴風雨に見舞われた。
豪雨降りすさび、辺り構わず強風が逆巻いた。

そのせいか湿気がはけて風さわやか、空晴れ渡り山の緑は艷やかな光沢を放っている。
駅から上り勾配の道となるが空気がおいしく歩いて心地いい。
グーグルマップを片手に遠足気分で目的地へと歩を進めていく。

さあ、今日はどんな方と会えるのだろう。
多少の緊張感もあるせいか初訪問のときはウキウキワクワク、心楽しさが倍加する。

そしてこの日も良き出会いを得ることになった。
今後末永くその事業主に寄り添い伴走していくことになる。

この日が起点となっていまは小さな流れがやがては大きな流れになっていく。
そう確信したのでわたしにとってこの日は一人ひそかに思う記念日のようなものとなった。

そこから市内に戻って弟と顔を合わせ、事務所に戻って夕刻になってまた外出。
今度も大阪東部へと向かう。

若き事業主と面談。
ここもこの先が楽しみだ。

いろいろたいへんなことも多いけれど、出会いが仕事を生み数々のドラマが生み出されていく。
わたし自身も当事者となって大奮闘することになるのだが、それで血潮沸き立ち、この血の騒ぐ感覚がこたえられない。

楽しいといっては不謹慎かもしれないが、仕事に携わるうえでこの感覚は必須のものと言えるのではないだろうか。

熱意なく長時間働く。
これが日本の勤労者の実態のようである。
ある調査によれば、世界のなかに置いてみたとき、日本人の仕事に対する熱意のなさは世界最劣等に位置するものであったという。

生産性が低くて当然といった話だろう。

おそらくその熱意のなさというのはある種の組織人特有の症状であって、暗黙の管理がさらに暗黙の管理を生むといった管理ループが自動増殖していくような組織において顕著なのではないだろうか。

組織に下駄を預け上司や同僚の意を汲みそこの空気に染まって右に倣えする、それがそこでは当たり前であって、身を置けば知らず知らずそういった習性が強化されその習性の維持強化自体が仕事のようなものとなる。

想像するだけで汲々とした気持ちになって息が詰まる。

熱意なく長時間働くなど、まるで懲役刑くらったような話であって、そんなことなら、裸足で野山駆け回って狩猟採集生活する方がよほど楽しいとさえ思えてこないだろうか。

何を生業にし、どんな在り方で生きるか。
その目標を定める際に、熱意という視点での検討を絶対に欠いてはならないだろう。