当時、確か40歳の方だった。
非常に優秀な同業者でお手本として見習っていた。
脂が乗り切った。
仕事ぶりを評するのにそれがぴったりの言葉だった。
歳月が流れ、いつしか疎遠になった。
5歳下のわたしも40を過ぎ、気づけば50を過ぎていた。
先ごろ風の噂でその人物について耳にした。
一線を退き田舎に引き込んでいる、とのことだった。
ニュアンスとして悠々自適といった話ではなさそうだった。
人生いろいろ。
何か計算外のことがあったのかもしれなかった。
身に降り掛かったことについて思い巡らせつつ、その方の年齢に気づいてわたしはびっくりした。
えっ、60歳。
ということは、わたしはいま一体何歳なのだ。
わたしは当時のまんま35歳のノリで仕事しているから、玉手箱を開けたようなものだった。
時間の流れは押し留めようがない。
その人のことから時間へと思考の焦点は移り変わった。
そして結局、この流れの先の先へと行き着いた。
先日、客先の葬儀に参列した。
最後に親族が挨拶して言った。
労苦の絶えない人生でしたが故人はあちこち旅行しとても楽しい人生を過ごしたと思います。
そんな言葉を耳にしながら、わたしは自身にあてはめた。
最後は息子たちに送られる。
そのとき彼らは思うだろう。
親父はおいしいものを食べあちこち旅した。
仕事にも励んで、楽しく充実した人生だったに違いない。
そう思って別れられるのであれば、彼らにとっても何ら悲しいことではないだろう。
逆算すれば答えは明白だった。
息子たちがわたしの後ろ姿を楽しく語って懐かしめるよう、わたしは思う存分、いまを楽しめばいいのである。
人生は短く儚い。
あれもこれもと手出しせず楽しむことに注力するのがお後もよろしい最良解ということになるだろう。