KORANIKATARU

子らに語る時々日記

どこへ行くか、ではなく、どう過ごすか

去年はかなり忙しく、精神的な負荷も大きかった。

だからだろうか、土日になればほぼ毎回遠出をした。

 

スケジュールを見ると驚く。

これでもかというくらい、各地を飛び回っている。

 

それが楽しく、今年はさらに頻度を上げ、あちこち出かけようと思っていた。

しかしいま振り返ると、遠出はせいぜい月一回程度にとどまっている。

 

日程的には、実は今年は去年よりもさらに忙しい。

ただ、精神的な負荷はない。

 

土日に仕事の予定が入るということもあるが、落ち着いた気持ちで日々を過ごし、どこか遠くへ行きたいという渇望がさほど生じない。

 

大きな気分転換は不要で、近場で過ごすだけで心の平穏が保たれる。

結果、旅行の回数が減ったのだった。

 

この土曜の朝、家内が近所の人気店でパンを買ってきてくれた。

パリから持ち帰ったバターを塗って食べ、そのおいしさに二人してはしゃいで朝から大いに盛り上がった。

 

そこから一緒にジムへと出かけ、昼にかけたっぷり汗を流した。

 

その後、わたしは奈良での仕事に向かい、家内は月一回のヘッドスパへと出かけた。

奈良での業務を終え、事務所に寄ると家内から連絡があった。

 

しばし離れ離れの時間を過ごした後、合流することになった。

蕎麦を食べようと事務所近くの店に寄り、今後の旅行について話し合った。

 

週一回は無理にしても、せめて月一回は。

そう考えてカレンダーを眺めると、年の後半には三連休がいくつか続く。

 

月一回なら旅先も容易に決められた。

予定を入れ終えて、しみじみと思った。

こうした旅の予定が軸となって、時の流れが加速していく。

 

今年もあっという間に終わるのだろう。

ならば、しっかりとその時間にわたしたちの足音を響かせて、味わい尽くそう。

 

歯ごたえがあっておいしい蕎麦を噛み締めながら、ふと気がついた。

日々のなかにある「余白」も突き詰めれば旅。

時間旅行という視点で見たとき、わたしたちは旅上手になったのかもしれなかった。

 

居ながらにして時間そのものが旅先になる。

物理的な移動を伴わずとも心は時を駆け、それで十分満たされる。

 

どこへ行くか、ではなく、どう過ごすか。

それが旅の本質ということなのだろう。

2025年6月14日朝

2025年6月14日夜 谷六 鴨と蕎麦 今なら