改修のため自宅の風呂が使えない。
それでぶらり隣町へと足を運んで、銭湯を探した。
銭湯に行くなど久しぶりのことだった。
それで遠い昔の風景がよみがえった。
大昔。
下町の家に風呂はなかった。
毎夜、祖母と母に連れられて近所の銭湯へと通った。
そんな牧歌的な場面が浮かんだが、記憶の糸をたどれば当時は当時でいろいろあった。
大阪の下町には陰陽が混在し辻々に「コワい」少年が蠢いていた。
恐怖にまつわる記憶は色褪せない。
ちびっ子だった頃、おっかなびっくり過ごしていたことが、ああ懐かしい。
大人になって、戦々恐々とは無縁になった。
つまり、いまの方がはるかに牧歌的と言えるだろう。
Googleマップを手に隣町を歩き、見知らぬ町のサウナでくつろいだ。
下町のあんちゃんらがするぶっきらぼうな会話に耳を傾け、ときおり笑って、たっぷり汗を流した。
そんなささやかではあっても豊かな時間に揺蕩って自身の輪郭がくっきりと復元していった。
湯上がりの夜風ほど気持ちのいいものはない。
石鹸の香りに包まれて、ほんとうに幸せな気分で電車に乗って自宅に戻った。
風呂の工事がきっかけで、大事なことを思い出すことができた。
たまには、銭湯を差し挟む。
下町育ちの夜に必須のたしなみと言えるだろう。