近所に映画館があるものの、足を運ぶ回数はごく限られている。
最近では2年前の夏、「ミッション:インポッシブル/デッドレコニング」を観るために女房と出かけたのが記憶に新しい。
今回、「ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング」が公開されたので重い腰を上げることになった。
金曜のレイトショーの席を予約し、スクリーンを前に隣り合って腰掛け、改めて感じた。
夫婦でこうした時間を過ごすのも悪くない。
初めて「ミッション:インポッシブル」を観たのは、イギリスをぶらり旅していたときのことだった。
映画の劇中、「1996」という数字がキーワードとして登場するが、あれからもう29年も経ったのだった。
そして、イーサン・ハントは相変わらずぶっちぎりであった。
関西弁でいうなら「絶対無理やんけ」という局面にことごとく立ち向かい、「そんなアホな」という具合にくぐり抜けていく。
そうしたシーンの数々に目を奪われつつ、ふと思った。
おそらく29年どころの話ではない。
イーサン・ハント的な存在は、人類が火を手にした原始の昔から、神話や伝説のなか脈々と受け継がれてきたのではないか。
そのように「絶対無理やんけ」にぶつかっていく者がいてこそ、人々は生き延びることができ、文明という名の奇跡を築き上げることができた。
たとえば、スポーツの世界など、「ミッション・インポッシブル」に果敢に挑む世界の縮図とみることができるかもしれない。
モンスター井上尚弥の姿が頭に浮かぶ。
彼の偉業などまさにイーサン・ハント的な話である。
9月には最強の挑戦者ムロジョン・アフマダリエフを迎え撃ち、来年5月には次なる強敵ビッグ・バン中谷潤人と覇を競う。
特に中谷潤人などあまりに強すぎて、「そんなんに勝つん無理ちゃうん」という話であるが、イーサン・ハントであるから、それが定め。
モンスターに躊躇いなどないのだろう。
そのように、人類史上綿々と続く「ミッション・インポッシブル」な系譜を思い、少し背筋が伸びるような気がした。
ポッシブルな世界でへっぴり腰になっている場合ではない。
そう学び、深夜11時、女房と二人、映画館を後にした。