昼に池田、夕方に高槻。
この日は2件まわるだけなので気楽に構えていた。
いつもそう。
まだ先、という場合には余裕を感じる。
が、実際に業務が目前に近づくとそれなりの緊張感が身に迫る。
やはりわたしは真面目で、仕事に対し真剣なのだった。
そして今回も例外ではなく、無事に業務を終えることができた。
安堵しつつ、そのビフォーアフターを反芻した。
仕事へと赴く際、終わった後の気分を思い浮かべ、その瞬間に憧憬すら覚えた。
が、実際に終わるとなんともない。
あっけないほど静かな感情のままであった。
その昔、学校の定期試験に苦しんだ経験を思い出した。
試験が始まったばかりの頃は「あと何日」と指折り数え、終了の日を待ち焦がれる。
しかし、いざ終わってみると、思ったほどの高揚はない。
思うに、歓喜とは「まだ終わっていない今」にこそ宿っているのかもしれない。
その未来を思い描く時点で、喜びの大部分はすでに味わい尽くされているのだろう。
だからこそ、「終わった瞬間」は、ただただ静かなものとなる。
駅へと向かっていると家内からメッセージが届いた。
ちょうど事務所の手伝いを終え、これから家に帰るとのことだった。
ここで日常が流れ込んできて、自分の居場所の輪郭がありありと浮かび上がった。
こうして巡る日々のなかに、すでに充分な喜びが与えられている。
派手な感動や劇的な出来事があろうがなかろうが、このささやかで確かな日常こそが自分にとっての幸福なのだった。