青い池と白ひげの滝の美しい眺めを満喫した後、四季彩の丘へと足を運んだ。
前日の午後に訪れた際は、順を待つ車列がL字型に延びて果てしなく、とても並ぶ気にはなれず引き返した。
この日は満を持して朝一番で乗り込み、開園時間である8:40よりも20分ほど早く着いた。
スムーズにクルマを停めることができ安堵しつつ、それでも少なくない数の先客がすでに待機していて驚いた。
聞くところによると、午前10時には観光バスが次々とやってきてひどい混雑状態になるのだという。
開園と同時に中へと入って、その全容を見渡した。
一見の価値どころの騒ぎではなかった。
これは確かに外せない。
長蛇の列になるのも当然と思えた。
園内を一周するトロッコに乗り、連なって畝を描く花畑の壮観に息を呑んだ。
そこには長い時間をかけ人の手で丁寧に形作られてきた美しさの積み重ねと広大な大地との調和があった。
トロッコの後は、女房とゆっくり歩いた。
歩くと視点が変化し、美しさも静かに波打ってその表情を変えていった。
日常から切り離された空間において、胸の奥に仕舞われていた感性が活性化するのだろう。
幾つもの景色が心に深く鮮やかに刻まれた。
たっぷり記念写真を撮り、家内は外国人観光客の写真撮影まで買って出た。
見知らぬ者同士が、美しい景色を前にして自然と言葉を交わす。
これもまたこの場所が持つ特別な力と言えるのだろう。
すべての場面が花咲く丘にシンクロし、映えに映えた。
四季彩の丘にてひととき過ごし、そして周辺の観光地をまわった。
北の大地を背に悠然とそびえるケンとメリーの木は堂々たる姿を誇り、わたしたちは前後左右に回っていろいろな角度からその威容に見惚れた。
そこから移動し次に目にしたセブンスターの木はあまりに対照的で思わず笑みがこぼれてしまった。
見る順序は逆にすべきだった。
そう感じたが、次第に込み上がる愛おしさにこの順番でよかったのだと思い直した。
次に向かったのは、静寂に包まれたマイルドセブンの丘だった。
人けのない広大な景色の中を駆け抜けながら、北海道にいる「いま、ここ」にわたしたちはどっぷりひたることができた。
途中で濃厚なアイスを食べヨーグルトで喉を潤し、仕上げにジェットコースターの路へと赴き、その長い一本道をじっくり味わって、行って帰った。
観光名所をひととおりカバーでき、これで十分だった。
いよいよこの旅も最終盤に差し掛かった。
文字通りの「場所」だけでなく、時間についても適した居場所がある。
わたしたちは早朝から動き出してそう学んだ。
静けさに包まれた美しさは、限られた時間にだけ姿を現す。
そんな出合いを求め、普段は寝入って過ごす時間さえ移動する。
実はありふれたものなのかもしれない喜びを強く実感でき、ああ、なるほど。
そこに旅の真髄があるのかもしれない。