旭川に戻ると、ちょうど昼時になっていた。
せっかくだから名物のジンギスカンでも食べようと調べてみたが、昼から開いている店は意外と少ない。
ようやく見つけた一軒に予約を入れると「席をご用意しますね」との返事だったので、胸をなで下ろした。
ところが、店に入ると客はわたしたちだけだった。
まあ形だけ食べてお腹を満たし、クルマを駅前のイオンに停めて食材などの買い物に勤しむことにした。
買い物ついでに隣接する旭川駅舎も見学し、裏手に回ると展望スペースがあって忠別川の流れを眼下に望むことができた。
掲示されていた説明書きによれば、かつてこの川には鮭が群れをなして遡上したという。
川面を見つめていると、明治の頃、屯田兵や開拓民がこの厳しい大地に鍬を入れ、凍える風に抗いながら生活を切り開いた姿が脳裏に浮かんだ。
そんな情景が静かに胸の奥へと流れ込み、言葉にならぬ余韻を残した。
つまりこの水の流れは単なる「川」なのではなく、北海道開拓の歴史を物語る無言の証人とでもいうべきものだった。
今回の旅を通じ家内が何度もつぶやいた。
ほんとうに北海道が日本でよかった。
そうそう、もしここがロシア領ならわたしたちは自由にこの美しい大地を旅することはできなかっただろう。
先人たちの途方もない労苦に思いを馳せ、わたしたちはここが日本であることに深い感謝の念を覚えた。
レンタカーを返し、札幌へと向かう特急カムイに乗車して旅の打ち上げと決め込んだ。
旅の何が楽しいといって車中の宴にまさるものはない。
札幌で乗り換え、ほどなくして千歳空港に到着した。
昨年の2月同様、わたしたちは名店ジアスに腰を落ち着け、二次会を楽しんだ。
搭乗前に杯を交わすひとときは、旅の締めくくりにふさわしい至福の時間となった。
ほんとうに素晴らしい旅だった。
年に一度は北の大地へ。
わたしたちはそう心に決めた。
来年もまたこの大地は先人たちの息づかいとともに、わたしたちを温かく迎えてくれるに違いない。