女性にとっては住む家がアイデンティティとなる。
そう聞いて深く納得したことがある。
男性にとって仕事がそうであるように、女性にとっては人生の最も大切な部分を家が代表する。
大半の時間を外で仕事し過ごす男子にとって家が重要トピックとなることはない。
住処を権勢の誇示に用いねばならぬ特殊事情のある者を除き、家のあれこれなど意識にさえのぼらない。
要は、用さえ足りればどうでもいいようなものであって、何でも手に届くような手狭さとシンプルさ、これが男子にとっては最上究極の居住空間と言える。
ところが女子にとっては事情が大きく異なる。
女子にだけ作用する磁場のようなものがあり、その影響下、女性ならではの生活感というものが絢爛あでやか育まれ、それは世界観のようなものにまで発展拡大していく。
その世界を映す鏡が家となる。
立地だけでなく各部屋の機能や造りに渡って、つまりは広義の居住感といったものが世界のすべて、最重要なものとなる。
だからついうっかり男が家の設えについて軽々しい口を利いた場合には収まらない。
これは逆もしかりであって、仕事について女房に皮肉な横槍入れられれば、たいていの男はヘソ曲げる。
だからそこいらについては互い不可侵の協定を取り結んでおくのが賢明な夫婦の選択と言えるだろう。
猛暑の夏、空調なしでは寝苦しく、しかし空調に晒され続けると体調が急降下しかねない。
自ずとナチュラルな涼を求めての寝床探しとなって、日中直射にあたって熱を蓄え続ける三階寝室は安眠得難く回避され、一階和室が人気スポットの様相を呈していたが、我が家のパイオニアの長男は、一階玄関さえ寝床にしながら各地を渉猟し、その結果、二階北向きリビングの床のひんやり具合がかなりいいとの結論に達した。
昨晩わたしはへそ出して眠る彼と横並び、健やか快適な夜を過ごすことができた。
おそらく続々、家族はここに集まってくることだろう。
この居住感、それが生活の実質となって、我が家、すなわち家内の歴史となっていく。