五十を過ぎ、ビュッフェではごくごく控えめに振る舞うようになった。
だからこの日も軽く抑えるつもりだったが、エッグベネディクトなどがかなり美味しくて、ちと食べすぎた。
料理の他、印象に残ったのは中国人観光客の居住まいの良さだった。
品があって身なりよく一様に痩身で、食べる分量もごくごく控えめだった。
加えてその子どもたちもお上品で聡明そうで可愛らしく見えた。
その昔、大阪下町のおじさんが、「品はお金で買われへん」といったことを言っていたが、それはなにわ地域の特殊事情であって、眼前の光景を目にすれば品とお金には強い相関があるとしか思えなかった。
食後、ホテルで夕刻までゆっくりしてもいいとわたしは思ったが、家内に手を引かれるようにしてさっさと街へ出た。
近くのセブンイレブン前から自転車を借り、家内のあとに付き従った。
目指すは徳川美術館だった。
関西人にはピンとこないが、ここは由緒正しき尾張徳川の地なのだった。
だから一度はのぞいておかねばならない。
家内はそう考えた。
街を抜けるとひと気もはけて実に走り良かった。
冷気が心地よく爽快。
瀟洒な一帯を抜けると、でんと聳える徳川の門構えが見えてきた。
中に入ってお茶することにした。
昼時であったがなにせお腹がすいていなかった。
趣きたっぷりの食事処があったからそこで食べればいい思い出になっただろう。
食い意地を張るとこのようにツケがまわるのだった。
お茶した後は美術館のなかを見学してまわった。
歴史の一時代を飾った徳川の栄華に触れ、下町育ちの関西人はなんとも謙虚な気持ちになって頭を垂れた。
厳島神社を描いた巨大な屏風絵にはぷるる震えた。
彼の地は江戸時代からこんな様子だったのか。
家内が言った。
先月、ここから舟に乗って鳥居をくぐった。
絵を指差しながら先日の航路を家内が描いて、わたしはそれを目で追った。
江戸時代の絵とわたしたちが一体になったも同然。
わたしたちは厳島神社の普遍に胸を打たれた。
巨大な庭園をぶらついてから自転車で街へと戻った。
そろそろお腹がすき始めていた。
気になっていたのは味仙だった。
ぐずぐずすればまた長蛇の列になってありつけない。
家内がすぐに動いた。
預けた荷物を受け取ってホテル前からタクシーに乗った。
汽車の時間にはまだ早かったが、列にならぶ時間を計算し名古屋駅の味仙に向かったのだった。
タクシーの運転手は言った。
味仙ですか。
たまに無性に食べたくなりますね。
汁まで全部飲み干してしまいます。
そんな話を聞いたから味仙への思いが更にかき立てられた。
午後5時前、列はさほどではなかった。
15分もかからず席に案内された。
汽車の時間まで間があったから、ここでゆっくりすることにした。
噂に違わず台湾ラーメンの辛さに魅了された。
スープだけでなくアルデンテな麺もめちゃうまい。
それで調子にのってメニューにあったホルモンラーメンも頼んだが二匹目のドジョウに与ることはできなかった。
隣の学生4人組は台湾ラーメンの大盛りを頼んでいた。
汁まで飲み干し汗だくになって、彼らは言った。
サウナより整う。
家内も上気し2杯目のビールを頼みいい感じで汗ばんでいた。
そうこうするうち汽車の時間が近づいた。
歩いて数分。
ひのとりの前で記念写真を撮り、まもなく車中の人となった。
快適に道中を過ごし難波で降り、同じホームで乗り換え西宮まで移動してタクシーに運ばれて楽ちん至極。
先日訪れた広島に続き、名古屋もまた深い愛情を寄せる思い入れのある地となった。