この3月は特異な月になった。
習慣にしていたジムへ一度も行かず、週末ごとに楽しんでいた旅行にも一切出かけなかった。
まるで駆け出しの頃に戻ったかのよう。
土日もカフェ活に勤しみ、ひたすら仕事をして過ごした。
土日、何してるの?
その昔、われらが33期のプレジデント・グリに聞かれ、「仕事だよ」と答えると呆れ顔で返された。
時間管理がなってないよ。
たしかにその通りだった。
その時分のわたしにとって時間は、管理するものではなくただただ没入するだけの対象だった。
管理できるような「枠」などなく、火を絶やさぬようつぎつぎ焚き火に投入する「量」でしかなかった。
あんな日々とはもう無縁。
そう思っていたが、ふとしたきっかけで一時的、あの頃のハードワーカー時代に戻ることになった。
驚いたことに、わたしはまだまったく衰えていなかった。
それどころか思考は冴えに冴え、集中力は高まり、以前より深く、鋭く、的確に、かつ粘り強く仕事に取り組むことができた。
もちろんかつてのように闇雲に時間を消費するのではなく、管理し運用するような余裕も生れていた。
そんなわたしの傍らで、家内もまた、何食わぬ顔で自然体だった。
わたしを支えてくれた当時と寸分違いなく、あれこれ料理を作り家事に勤しみ、それに嬉々としている様子は、こうした日々こそがわたしたち本来の「ホーム」なのだと物語っていた。
で、つくづく思ったのだった。
序盤は「築く」ための時間だった。
外の世界がどれだけ賑わっていようと、わたしたちは黙々と積み上げることで揺るぎない何かを育ててきた。
この3月、その確かさを改めて思い知った。
それで得られた土台があってこそ、ようやくいまは「味わう」といったことができるようになった。
ただ、まだ遊びに不慣れで、遊んでいると気の咎めを覚えるからビギナーの域に留まっていると言えるだろう。
今回、たまたまわたしたちのスタンダードへと回帰して、そこで自然体で過ごせることを再確認できた。
これで確信できた。
もう大丈夫。
この先は心置きなく。
思う存分遊んで楽しいといった日々を満喫できるだろう。