今年もまた、家内がひとり旅に出かけた。
行き先は長野戸隠。
旅先から次々と写真が送られてくる。
日中でも気温は26℃ほど。
昨年同様、クーラーなしで快適に過ごせるとのことである。
家族のLINEグループに写真や動画が届くたび、森林を抜ける信州の涼風が画面越しに伝わり、長男、二男そして私のもとへ一服の涼がもたらされる。
家内が留守の間、わたしは一人になる。
遠い昔。
女房が不在となれば、鬼のいぬ間の命の洗濯。
仕事を終えた後は気兼ねなく羽を伸ばし、飲み屋をはしごした。
そんな昔の感覚がまだ残存していて女房が留守だと一瞬、酒場で抒情にひたろうとの気持ちも芽生える。
が、実際はジムで筋トレに励み、お酒も飲まずに読書に勤しんで、ひとり静かに夜長を過ごす。
ふと昨年の今頃の日記を見返して、驚いた。
あまりに同じ。
昨年もわたしはジムの後にスーパーで買った肉を自分で焼き、うなぎを食べ、お酒を飲まず読書して過ごしていた。
それで気がついた。
私はもう大人になったのだ。
かつては子どもだった。
ひとり、ぽつんと空いた時間を前にすればお酒をあおって忘我へと突っ走った。
それがいつしか変わった。
より良い明日に照準を合わせ、寡黙にカラダを鍛え、タンパク質をしっかり摂って本を手に取る。
五十を過ぎてからであるから、遅咲きにもほどがあるが、ようやくにして、ほんとうに自分にとって良いことを選択できる落ち着きと知性が身についたと言えるだろう。
昔は飲酒と読書が両立すると思っていた。
しかしどちらも夜という時間帯が重なり、お酒を飲むと活字を追えない。
つまり、この二つは相反するものだったのだ。
どちらを選ぶか。
未熟な子どもの時分なら飲酒を選び、しかし、もはや分別が備わった。
わたしはひとり黙して書物のページを繰るのである。
なぜこうなったのか。
答えはカンタン。
家内のおかげ。
その舵取りの力の為せる技であり、だからうちの息子たちなどわたしより二周りも三周りも早く成熟し、大人になった。
家内と同様、彼らも向上心の塊。
そして、文字通りの大人になって彼らは更に本気になって出力をあげていく。
さあ、これからどこまでいくのか。
その歩みを楽しむため、わたしもまた大人であり続けたい。
静かな夜、ページを繰るたび信州の涼風が心を撫でる気がした。