子らが時々事務所に顔を出す。
振替休日で学校が休みになったときなど、こっちは仕事で大わらわであるから構う暇はない。
彼らは彼らで事務所のかたわらに座って勝手に用事を済ませていく。
特に言葉を交わすこともないが、視線の端々、働く父の姿を捉えていることは間違いないことだろう。
まるで舞台にあって、いかほどのものなのか品定めされているようなものとも言える。
声を荒げ、喝飛ばし、なぜか時折ガッツポーズし、と思えば電話の向こうに平身低頭して詫びを入れる。
具体的に何をしているのかは不明であろうが、活気の渦中にあることはしっかりと伝わるだろうし、おそらく同じ男としてそのグッとしまって賑やかな空気にどことなし惹かれるものを感じ取っているのも確かなことだろうと思う。
つまり、仕事場にあってわたしは彼らに好作用を及ぼしているに違いなく、であればこれほど父親冥利に尽きるという話はない。
彼らのうちに刻印された仕事男の残像は時を追うごとに馥郁と発酵し夾雑物は濾過されて、実物以上にカッコイイ姿に結実していくはずである。
なんだか照れてニヤけてしまう。