土曜日夕刻、ひとりの時間。
セミフ・カプランオール監督のユフス三部作がちょうど手持ち時間の尺に合う。
3つ合わせて300分。
世界的に高い評価を受けたトルコ映画である。
「蜂蜜」を皮切りに公開年度の新しいものから順にみていくことにした。
序盤から映し出される風景に息を呑む。
吹きわたる風が木々の間を抜けてこちらにまで伝わってくるかのよう。
そしてもちろん出だしだけではなかった。
全編を通じ映像が実に美しい。
随所で捉えられる光の陰影と濃淡具合が絶妙で、陽に照らされる草木が風に揺れるたび光があふれ、水辺に映る月明かりが波紋となって光を散乱させる。
添えられる音もいい。
葉擦れの音が耳に心地よく、鳥のさえずりが体の奥の奥までしんみりと染み入ってくる。
そうそう、いつの頃だったか、こんなところにいたことがあった。
原初の記憶の封が開いたみたいになって、どの場面にも懐かしさを感じることになる。
そんな美しい映像のなか、これまたひとつの自然の景色であるかのように、人の暮らしが映し出されていく。
主人公の少年ユフスはまだ幼い。
小学校一年生といったところだろうか。
ユフスの父は蜂蜜採取を生業にしている。
ユフスにとって父ほど頼もしい存在はない。
森での暮らしは父という大船に乗っているかのような安心感とともにある。
この年、蜂蜜が不作となった。
父は危険を承知で遠くまで採集に出かけなければならなくなった。
そして、父は帰ってこない。
まさか、まさかという不安と焦燥が日を追って増幅していく。
年端もいかない少年が直面するには酷すぎる状況である。
観る者はいつしかユフスとともに、その過程を共有していくことになる。
誰のなかにも少年ユフスが息づいていて、少年の視点になるからこそ、父を失う痛みの切実が身にしみる。
ラストシーン、森で一夜を過ごす少年ユフスをわたしは見つめたまま、映画終わったあとも余韻でしばらく動けない。
原初の頃から世界は美しく、そして、原初の頃から人にはいろいろとある。
そういった人にまつわるシンプルな普遍に触れたようであって、厳粛な思いを避けられない。
引き続き、ユフスが青年期に差し掛かる「ミルク」をみて、一人前の大人となったユフスが描かれる「卵」をみる。
「ミルク」で母は健在だが、「卵」は母の死の知らせから物語が始まる。
異国の見知らぬ人物の半生を、車窓から眺めるようにし過ごす土曜日となった。
見せ場のようなものはどこにもないが、どのシーンも異国情緒に溢れ、その土地の人の心や振る舞いが垣間見え、飽きることがない。
ラスト、幸福な食卓のシーンで映画が終わる。
主人公ユフスは、導かれるようにして、そこにたどりついたのだった。
「蜂蜜」の場面では小学校一年生。
わたしはその頃の少年ユフスを知る者となっている。
だからラストのシーンでめでたしめでたし、わたし自身も嬉しくて、古くからの親しい友人としてのユフスを祝福したいような気持ちになった。
300分は長丁場に過ぎたけれど、よい旅をし終えたような充実の土曜日となった。