事務所の仕事を手伝って、この日の午後、家内はビジネス街を歩いていた。
風が冷たさを増すなか、路上に立つヤクルトレディの姿が目に入った。
品薄状態が続くヤクルト1000があるかもしれない。
そう思って家内は駆け寄った。
ダメ元と思っていたから、ヤクルト1000が「ある」との返答に家内は驚き、そのヤクルトレディがお婆さんとでも言うべき高齢の方であったから、そのことに更に驚いた。
だから、ヤクルト1000を手に立ち去ろうとして、すぐにまた舞い戻った。
クーラーボックスのなかに幾つか売れ残った品があった。
それが目に焼き付いていた。
そのままにしておいては気の毒である。
家内は残りの品をすべて買い求めた。
うちでは誰も飲まないが、事務所に持ち帰ればみな喜ぶに違いない。
そんな話を帰途の車中、ハンドルを握る家内から聞かされ、わたしは家内を絶賛した。
まさに徳を積むような行為であって、いくら褒めても褒め足りないといった話だった。
働くお年寄りを見ると、わたしは決まって祖母の姿を思い出しじんとくる。
うちの母も存命中なら、老いてもずっと働いていたに違いない。
だから、そんなお年寄りに少しでも貢献できることがあるなら、それを素直に嬉しいと感じる。
明日ヤクルトを事務所に持って行ってね、と家内が後部座席の品を指差し、そこから夫婦の話題は様変わりし、スタッフの話になった。
不思議なものでうまい具合に各自の強みが相合わさって、事務所パワーが底上げされている。
これはもうもはやわたしの力ではなく、降って湧いたような他力が絶妙のバランスで配置され、わたしを持ち上げてくれているようなものと言うしかない。
こんな縁は得ようとして得られるものではないだろう。
つまりは、運。
その一語に尽きる。
だから、みんなを大切に、みんなのためにわたしたちはもっともっと徳を積んでいかねばならない。
そんなわたしの話を受けて家内が発案し、その指示に従って皆にラインを送るうち、事務所忘年会の日時と場所が家に帰るまでには固まった。
師走の某日、某所に運が集まり、事務所としての忘年会が初開催の運びとなった。