前夜、二人でアド街ック天国を見ているとヤウメイが紹介されていた。
ちょくちょく通う馴染みの店が登場して、ちょっと嬉しい。
早速、家内が予約して午後3時半の席を確保した。
昼食抜きで時間をやり過ごし、期待に胸を膨らませ足取り軽くヤウメイへと向かった。
富裕な雰囲気の方々で埋め尽くされ、店内はいつもどおり上質な空気に包まれていた。
ここにも外国人観光客の姿がちらほらと見え、その混ざり具合が実にいまの東京らしいと思えた。
今回はいつもの定番に加え、イカのカレー、鹿肉のパイ包み、ちまきなど新たなメニューを頼んでみた。
どれもこれもが美味しくて、味覚が記憶の奥の幸福感を掘り起こしていった。
食べるという行為が呼び覚ます豊かな感覚に夫婦で感嘆し続けた。
お腹も膨れ大満足となったところで、 ちょうどいい頃合い。
汽車の時刻が近づいたので店を出た。
日中降り続いていた雨があがって、清涼な空気が通りを吹き抜けていた。
丸の内仲通りを歩いて東京駅へと歩を進め、ああ、やっと帰れると安堵している自分に気がついた。
毎回結構疲れるのに旅へと赴く。
いったいなぜなのだろう。
家でゆっくり過ごしていれば楽で申し分ない。
にもかかわらず、性懲りもなく繰り返し繰り返し旅に出る。
汽車のシートに身を預け、ぼんやりと考えた。
旅する理由など、本当はいつも曖昧なままである。
なんとなく旅に出て、そして疲れて、忘れた頃にまた旅に出る。
一種のスポーツのようなものなのかもしれない。
走ったり泳いだりする習慣について、一体なぜと問うことはない。
運動みたいな即効性はないものの、旅という「鍛錬」を通じて得られるもの、例えば内面世界が豊かになったり、感覚が研ぎ澄まされたりといったことによる喜びを奥底で知っていて、だから、旅を求めることになるのだろうか。
そう考えると、疲れれば疲れるほどいい旅をしたということになる。
新大阪駅に着いた途端に空腹を感じた。
在来線のコンコースにてたこ焼きを分け、家内はビールを飲んだ。
旅が終わった後のこのほっとした空気がたまらない。
近いうち、わたしたちはまた旅することになるだろう。