KORANIKATARU

子らに語る時々日記

あの時、あのおばさんがいなければ

昨年、スペインから帰国した後、立ち寄った。

今回もまたフランス旅行の打ち上げとして予約し訪れた。

 

夕刻、ジムで泳いでサウナに入って腹ごなしも万端。

さあ、寿司だと意気込んだ。

 

テーブル席に陣取っておすすめの品を注文していった。

出だしは良かった。

が、どんどん女房の機嫌が悪くなっていった。

 

カウンター席にひとり、かなり大きな声で喋るおばさんがいた。

店中にその宮崎弁が響き渡っていた。

 

最初は受け流していたが家内にとっては耳障りなこと甚だしかったようだ。

不快のスイッチが入ると、そのノイズばかりが際立って不快さが極まっていく。

 

他の客もいるのに、なんて無作法なのだ。

そう思うと、気持ちがますます尖って抑えが効かなくなってくるのだろう。

 

気は強いがメンタルは弱い。

家内の表情は険しさを増し、楽しいはずの時間は遠ざかっていった。

 

わたしはと言えば、そんな人には取り合わない。

世にはいろんな人がいる。

そんなのを相手に精神的エネルギーをロスする方がバカバカしい。

 

だからそう言って家内をなだめるが収まらない。

夕食の時間は騒がしい声のせいでただただ色褪せていった。

 

結局、寿司だと意気込んだものの消化不良のまま、わたしたちは席を立った。

で、そんな小さなでこぼこが二人の間に深刻な影を落とすのだった。

 

せっかく二人で来たのに。

空しさがじわじわと胸の内に広がった。

 

やがて矛先はわたしに向かい二人の間に亀裂が生じ、わたしたちは別々の世界へと引き裂かれた。

 

案外、どんな破局も元を辿れば、そうした小さなほころびに端を発するものに違いない。

 

声のでかいおばさんとたまたま出くわした。

そのおばさんの無思慮無神経が、わたしたちの心の奥に潜んでいた積年のわだかまりを浮上させ、深刻な感情を招き寄せた。

 

わたしたちはその宮崎弁のおばさんを原因として、長年の関係を解消することになるのかもしれない。

 

まるで冗談みたいな話であるから、事は重大だが笑える。

 

はてさて、何が起こってそうなったのか。

後年振り返ったとき、そのおかしみを噛み締めることができるよう、こうして記録しておくことも大事だろう。

 

金曜に芦屋の永来権(えらごん)を予約していたが、キャンセルすることになる。

ここの売りが宮崎の地鶏だというから、そんな符号が更に笑いを誘う。

2025年5月7日夜 JR尼崎 すし田