小さな背中と分厚い二十年

商店街を歩くちびっ子の後ろ姿をみて家内が感慨にふけった。

20年以上前、息子たちはまさにあんな感じだった。

 

あっという間に歳月が流れた。

まるでサル同然と身内にも疎まれ、家内は肩身の狭い思いを余儀なくされた。

 

そんな息子たちにとって芦屋ラグビーが救いとなった。

そこではやんちゃなくらいでちょうどよかった。

 

ほぼすべての日曜が練習だったから、ほどよく身内とも距離が置けた。

 

わたし自身が中学受験をしていたこともあり、ものは試しとそれぞれ小4から塾に通わせた。

 

サルにしては上出来だった。

 

もちろんその気になりかけた灘中には遠く及ばず、長男は西大和、二男は大阪星光へと進んだ。

 

長男は地元地域のチームに所属しラグビーを続け、二男はホッケー部に入ってやがて頭角を現した。

 

二人とも素行のいい中高生という訳ではなかったから、親の気苦労は絶えなかった。

 

医学部に進めるような頭脳はなく、数学はどちらもめっぽう得意にしていたが、最終的には文系に進んだ。

 

家内の心掛けの影響か、英語もできた。

それに加えて国語が少し強く、他の科目はご愛嬌という程度だったから、東大に受かるには奇跡が必要だった。

 

が、奇跡は起こらず、結局それぞれ慶応法と早稲田法に進むことになった。

 

現役合格だったから親としては御の字だったが、西大和や大阪星光といった環境からすると、「ああ私文ね」とちょいと蔑まれるような結果だったかもしれない。

 

先日、長男から連絡があった。

入社3年以内の社員を対象にした人事評価でトップの成績を収めたとのことだった。

 

そうかそうか、素晴らしい。

一方、この10月から二男は丸の内での勤務になった。

 

長男が大手町で、二男が丸の内。

ビルからビルまで距離にして数百メートル。

 

ビル群の最前列にて皇居を望む。

そんなオフィスにて、息子二人がそれぞれ日本の両雄とも言える財閥系の企業に勤め、世界を舞台にした職務に携わる。

 

やがて順々に、もっと遠くの世界へと飛び立っていくのだろう。

 

出発点はあの小さな背中だった。

あっという間だったが、あまりに分厚い二十年だった。

2008年8月 赤穂,2009年6月 彦根城