何事も上から出るもんじゃないようだ。
上から出て、いいことなんて、あるもんじゃない。ろくなことにはならない。
聞いた話である。
職場にとびきり嫌な女性がいたそうな。
何でも説教詰問口調。他人はNG、全部ダメ。自分はOK、全部マル。そんな人であるらしい。
遠慮会釈なく「上から出る」人間の典型だ。
チョーはらわた煮えくり返る忍従の日々が続く。
しかし、あることを境に一変する。
上から出られることによる鬱憤がたちまち消えたのだという。
ちょっとした工夫である。些細なおまじない、のようなもの。
あるときから、お茶にトイレの水を使うようにしたのだという。
「トイレの水道水」や「水洗と同時に流れ出るあの水」ではない。
便器でブツを待ちかまえ、なみなみと湖面たゆたう、あの水を汲んで使うというのである。
そのヤな奴は、天然100%、ピュアな便所水を、はーと安堵の吐息もらしつつ味わい続けることになったのだ。
一人必殺仕事人。
以後、そのヤな奴が何か言っても、便所の水飲んでる奴が何か言うてるわ、便所の水飲んでるからちょっとおかしんやわ、と気にならなくなったという。
上から出ると、知らぬ内、下から出た水を飲まされることになるわけだ。
ここは必殺仕事人の国。
上から出ると、引きずり落とさんとする呪いのような力が働き始める。
酷いときには親子三代身の不運を呪詛される。
その力は侮れない。
念ずれば通ずるのである。呪いは意思を持ち成就へと突き進むのだ。
上から出る人間の失墜ほどやんや喝采快哉叫ばれるものはない。
これほど面白い出し物はないのである。無数の怨嗟怨念が、解き放たれるカタルシスを求め束になっていく。
誰にも止められない。
下から出ることを作法として身に付ける必要がある。
どうしても上から出る必要がある場合には、局地的・単発的に行うべきで、フォローできない場合は決してそれを常態としてはいけない。
下から出る人間を持ち上げるような、そんなメカニズムになっている国なのである。
順風得るための心得の一つだろう。