普段はすっかり忘れていても、心の奥底にある記憶が、ふと蘇ることがある。
今朝、子らを芦屋ラグビーの練習場まで送り届け、ふだんの通り道である43号線を通らず、気分転換がてら少し遠回りして2号線を帰路に選んだ。
数年前しまなみ海道を巡る旅行の際にクルマで聞き続けていた音楽を流し、よぎる旅情の残り香を味わい直すような華やいだ気分で、澄み切った青空のもと、休日がら空きの二号線を走っていた。
信号待ちで、芦屋前田町の交差点で停まった。
そこで出し抜け唐突に、十数年以上前の記憶が鮮明に蘇った。
二十代の勤め人だった頃、仕事か何かの折、暑さ極まる日中にこの交差点で私は歩行者として信号を待っていたことがあった。
この界隈は何度もクルマで行き過ぎているが、そんなこと今迄思い出したことなどなかった。
かつての心象が、まるで頭にディスク入れられたように、まざまざ鮮やかに再生されはじめる。
当時の私は、長時間拘束される身でかつ実入りは僅か。所帯はもとより彼女もおらず、クルマを持つどころかペーパードライバーであり、旅行はおろか週末の外出すらままならない不自由さ、勤め先があるという状態以外に先々の見通しもなく、どうしようもなく鬱屈し息詰まるほど窮屈な状態に置かれていた。
それでも、「こんなもんだよ、誰も彼も若者なんて見習い丁稚の身、逆境に耐えるのが当たり前、まずまずの人生、結構いい部類に入ってる」と自負する若気の気取り程度はあった。
しかし芦屋では若者のそんなちっぽけな気位などあっさり急降下、風前の灯だ。
信号待ちの若者は突如否応なく、自らの限界と無力さから目を背けることができなくなってしまうのであった。
薄皮ファウンデーション程度の自尊心は、何の役にもたたず、あっさりめくれて、ぺたぺた力なくはためくのみ。
数々の見栄えする乗用車が二号線をびゅんびゅん飛ばす。
若者には、その車列が豊かさと自由の凝縮された象徴として映る。
これまで覚えたことのないような焦がれるような気持ちに陥る。
何一つ比肩し得ない対極の世界が現前し、自分のあり方では絶対そこには手が届かない。
天と地のような絶望的な乖離。異次元の遥か彼方を見上げる屈服感。
信号はいつまでたっても青にならない。
苦しいような気持ちで当時の心情を思い出す。
今では、連れ合いもいるし、子にも恵まれた。
ささやかながら、クルマもあるし家もある。
仕事も零細だけれど目が回るほど忙しい。
納期さえ守れば、後は自由である。何の束縛も指揮命令もない。
何時ぞやの信号待ちから幾星霜の夜を越え、知らず知らず、曲がりなり、第三世界の小国みたいに地味で質素な経済成長はなし得たのだと思う。
依然として生活は爪に火をともすほどカツカツだけれど、日々の日銭に事欠くほどでもない。
信号待ちの若者、つまり昔の私からすれば、いま目の前をこっち見ながらクルマで通り過ぎる中年のおっさんが、十数年後の自分そのものだなんて、想像さえできないだろう。
その若者は今後十数年、頭巡らせて得るいかなる予見からも隔絶した道を辿るのである。無理もない。
信号待ちで暗い顔した二十代の自分をそこに凝視しつつ、悪い夢から遠ざかるように交差点を過ぎる。
通り過ぎるついでに、そこに留まり漂う、邪念を風船割るようにひと突き潰す。
邪念は放置するとろくなことがない。我が身だけでなく人様にも迷惑かけかねない。
犬が電柱にするおっしこみたいなものなので、街の浄化のためにも、気づいたときに洗い清めておかねばならない。
若いときは、欠落感が視野を塞ぎ、内面がどうしてもネガティブイメージに占拠され易くなる。
が、時間が経つと、何もかもが、唖然とするほど様変わりするのである。
その過程で、自滅せぬ程度、淡々と奮闘続ければ、いつか好循環の流れに召し抱えられるようだ。
そうなると、ネガティブイメージは引っ込み、いいイメージの恩恵に与ることの方が多くなる。
将来、花咲き乱れるほどの大成功など望むべくもないけれど、ささやか花添えられる程度には達したい。
もちろん、好事魔多し。油断大敵である。
注意一秒・怪我一生を肝に銘じつつ、先の十数年後を楽しみにして、地道にゆっくりと進もう。