KORANIKATARU

子らに語る時々日記

笑顔で逃げる

大阪のイタリアンレストランでのこと。
相当に名のしれた初老の紳士が、一見平凡で地味なレストランの料理と雰囲気が気に入って、一人でちょくちょく食事に通うようになった。

レストランは、いつしか評判が行き渡り、ちょっとした有名店のようになっていった。
そして大阪の有名店の定めとして、客筋は多様化大衆化し、馴染客が醸していた静かで落ち着いた情緒はどんどん失われて行くことになった。
店主がよほど気をつけない限り、店のイメージは損傷され続ける一方となる。

ある夜、その初老の紳士が食事している最中に折悪しく、大阪のおばさんの団体が入ってきた。
室温がたちまち数℃上昇し、粗雑なわいわいがやがやムードに店が侵食されていく。

大阪でおばさんが集まると、互いの近況報告から始まり弁論大会さながら「おばさんの主張」が熱く戦わされる。
皆が一体となり、合いの手を入れ合い、泣き笑う。
当然の事の運びで、店はわいわいがやがやムードどころではなく、喧々諤々のけたたましい騒々しさに覆われた。
店は、すっかり大阪おばさん色にこんがり焼き上げられたのだ。

紳士は黙って席を立ち、二度とその店に近づかない。
そのようにするべきであったが、不快なまま食事させられる状況が堪え難く、おばさんの集団に注意したという。
おばさんの下卑た嘲笑に言葉かき消され続けつつ、何度目かにやっと皆が紳士に気付いた。

一瞬静まり返る。

ああすんませんねえ~、と笑顔の返答があったので、意は通じたようだった。

しかしほどなく、おばさんのトーンは再び徐々に高まっていく。
止せばいいのに、また紳士は立ち上がり、おばさんに苦言を呈した。
店主もやってきて傍らで、おばさん達にひとつよろしく、と軽く会釈して理解を求める。

おばさんらは開き直ったようだった。
十分に気をつけて会話している、この程度が気に障るのだったら、貸し切りで食事するしかないのとちゃいますか、との言葉が返ってきた。
おばさん達は互いに目を見合わせ頷き合う。

多勢に無勢。
紳士はそれ以上説明する言葉を持たない。
そう、もはや問題は、デシベルの問題ではなかった。ディーセンシーの問題であった。
大阪に馴染ある方ならばお分かりのように、大阪のおばさん達にディーセンシーについて語り得る者は存在しない。
紳士は、失礼しましたと詫び、席に戻り、一杯ワインを飲み干したところで店を出た。
もちろん大阪のご婦人方への会釈も忘れない。

その紳士の正体を知る者からすれば、おばさん達の反応は恐れ多いにも程がある度肝抜かれるアンビリーバボーなものである。
しかし、おばさん達は、その紳士を知らず、かつ将来に渡って全く筋合いのない相手なのであるから、その文脈での対応など不要であった。

どれほどの社会的実力者であっても、大阪のおばさんの前では、為す術がないのである。

本来の居場所以外では、全く別の力学が作用する場、普段の磁石が全然機能しなくなる場があるという一例である。
そんな場では決して自ら矢面に立って目立ってはならない。集中砲火は免れない。
笑い話一つ手土産に余裕綽々、黙って背を向け立ち去るに如くはない。