KORANIKATARU

子らに語る時々日記

早起きの光景

雨が降っていても、ほとんど傘を使うことなく、事務所まで到達できる。
JR海老江駅や野田阪神駅からだと野田の商店街を通ればいいし、千日前線玉川駅やJR野田駅からだと高架下を歩けば雨に濡れることがない。

商店街と言えば、うなぎの名店川繁の斜め向かいに最近オープンした鍼灸院の若者は見込み大である。
背が高く頑丈そうなカラダをしていてルックスも悪くない。
そして何より、根性ありそうだ。
お客がないときは近辺でチラシを配り、無視されてもにこやか町の人々に挨拶し続ける。
彼を見ない日はない。

早朝にやってきて、朝の6時過ぎには商店街を掃除している。
そして、誰彼構わず行き過ぎる人みなに挨拶する。無視されても平気のようだ。
その働きぶりに安心感と信頼感を覚える。
必ずや町ナンバーワンの鍼灸院になるに違いない。

そして、野田全体が、中央卸売市場のお膝元だけあって、朝から活気に満ちている。
路上では青果積むトラックが鈴なりで、商店街では八百屋、魚屋、果物屋などのおじさん、おばさんが仕入品の陳列に忙しい。

しかし大阪では、朝の光のもと繰り広げられる清々しい勤労の光景とは、真反対、対極の世界の影がまだまだ深い。
不正であろうが何であろうが毎日金をくすねることばかり考えているような人が少なからずいて驚く。

驚く、というのは、私自身がわりと真面目真っ当な心根の人に接してきたらからであって、先様から見れば、こっちの方がおかしいというものかもしれない。

仄聞するところ、彼らは仕事などせず、あの手この手で、手っ取り早く日銭得る算段に明け暮れる。
公的給付はじめ不労所得得るための研究をし尽くし、実行の段になれば鬱病でも装うし、生活困窮者や事故の被害者にでも何にでも化ける。
パチンコ台に仕掛けして小銭かすめ取るなどお茶の子さいさいだ。

きれいごとだけの世の中ではない。こういった層が実在している。
薄暗がりを住処とするような虚無的な心象は、働くことを損だと軽侮しているかのようだ。

真っ当に働かなくてもお金が入るなんて羨ましい、そんないい思いをしてみたいなどと思ってはいけない。

いい思いが、どちら側の世界に属するか少しを頭を巡らせれば分かるはずである。
目を伏せるような憂鬱な日々にいい思いなど存在しない。
よこしまな世界に浸かり影のように過ごす身には、生きる最大の喜びである充足感など無縁なのである。

第一、活力あふれる賑やかな朝、何だかとても嬉しいような、力が募りカラダが武者震いするような、光量増す一日のはじまりの時間、そのような人は、まだ寝ているはずなのだ。